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  1. ぽろりっ(0)
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(無題)

 投稿者:みどり  投稿日:2017年 9月 6日(水)08時46分33秒
    今朝の新聞に
 土屋嘉男さんが 2月にご逝去されていたという記事が載っていました。
 
 

(無題)

 投稿者:みどり  投稿日:2017年 3月23日(木)07時27分53秒
    きょう 3月23日    NHK・BS3  2:55

   「隠し砦の三悪人」放映されます。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2016年 6月14日(火)17時51分37秒
  みどりさん、ご指摘ありがとうございます。

>》故人の家にお邪魔するのではなくて…………(隆さま・ご記入)

それは、ご家族にも大変ご迷惑だと思いますが、喫茶店に行く事は、良いのではないかと思った次第です。どのようなお店かは存じませんが、おそらくは、故人の写真とかポスターが飾ってある、商売っ気の多い店ではなく、みどりさんの書きぶりからは、センスの良い落ち着いた店の様子が思い浮かぶようです。手前勝手な妄想かも知れませんが…。

>》筋を通すもの。・・・・・・・・・それだけの良識はあるでしょう。………(隆さま・ご記入)

これは、ファンが大切なのか、本人が大切なのかで、判断は分かれるでしょう。誤解を招く事は承知で、今いる家族への思いではなく、故人に対する思いを、持っているのであれば、お墓参りは一つのファンの願望であり、行動だと思います。ファンの良識は、観光ではなく、個人の行動、尊敬として現れるのであれば、守られるものだと期待するところです。
 

隆さま

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 6月14日(火)11時38分6秒
編集済
      》故人の家にお邪魔するのではなくて…………(隆さま・ご記入)


 私は 経営されてる喫茶店のことだけを書いて

コーヒーを提供してくれる場で、コーヒーを味わいながら、さりげなく雷蔵さんの
面影を残されているという方を 遠巻きに拝見してみたい気持ちだけで

お住まいを訪問したいなどとは一言も書いてないのですが、


    》筋を通すもの。・・・・・・・・・それだけの良識はあるでしょう。………(隆さま・ご記入)

の書き込みには、ビックリしました。


総てのお客様を迎えて料金が発生し、コーヒーを、提供する場に
お客として、料金を払いコーヒーを飲みに行きたい。と、特別に無理を強いてない願いが

「家に押しかける…」………………と解釈されるのが不思議でしたが
私の未熟な文章力が原因なのでしょうね。  本当にすみません!


こちら様のホームページにお邪魔して、1?年。
誤解からの言葉を 今回、初めて受け、気が小さい私は ↓↓↓の心境です。


隆さまは、正論がほとんどで、色々お考えもあることでしょうが
今回のように誤解からですと↓↓↓の気持ちになり、気力が萎えますので



勝手ながら、  今 少しお手柔らかにして頂くと有難たいおもいですので
どうぞ宜しくお願いします。


雷蔵さんの息子さんは、マスコミには、あまり登場されてないご様子なので、
私の書き込みで取り上げられることになったら申し訳ない意味のことを
前回、終わりに添えさせてもらったのです。




★管理人さま
   いつも管理と運営をして頂き、大らかな対応して下さり有難うございます。


★お越しの皆さま
   私の下手な投稿にも関わらずお読み下さり有難うございます。




 
 

黒澤監督邸への押しかけ

 投稿者:  投稿日:2016年 6月13日(月)20時15分14秒
編集済
  訪問者として、筋を通すのであれば、まずは、お墓に行くべきでしょう。
故人の家にお邪魔するのではなく、お墓であれば、問題は少ないと思います。それだけの良識はあるでしょう。

黒澤監督といえば、当世の有名人だっただけに、家への招かざる客もあったと思いますが、それとは
勿論違います。逸話で、松田優作が、無名の若者であった時代に、監督の家の御前に張り込んだが、
監督は、それを一顧だにしなかった、つまり、上げなかったといいます。
ここでは、無名だから無碍にしたのではなく、その方法として、監督は、有志の若者を吟味する、
その隙すら見せない松田優作の流儀に呆れたのではないかと思います。

脱線しますが、お墓といえば、本作のエンドロール手前の、戦いで散った侍達と農民たちのお墓で、
砂ほこりが舞う箇所は、印象深いものがありますね。現代であれば、侵略側の野武士たちの供養すら
正統化されそうな、そんな奇妙さがありまね。侵略した者は、望んで戦争をしたのだから、そいつらが悪い、
という事であって、戦争の反省と、侵略側の異議は認めないという事は、定石にすべきと思います。

http://shinryuha.exblog.jp/

 

お墓

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 5月30日(月)08時50分57秒
    稲葉さんのお墓は どちらにあるのか知りたい方も多いのでは?…………と思います。

 大映の市川雷蔵さんの話しになりますが、

お父様の面影を感じる御子息が、喫茶店を経営されてるそうで
                  (誤情報だったらスミマセン)

場所と、店名が分かれば行ってみたい気がしますが、こういう書き込みで
ご本人様や、関係者様に御迷惑かけることになっては申し訳ない思いと、交錯しております。
 

稲葉さんのお墓は?

 投稿者:鈴木  投稿日:2016年 5月 6日(金)16時17分8秒
  以前、こちらに投稿していた者です。
ご存知の方がいたら教えてください。稲葉さんのお墓参りに行きたいのですがご存知でしょうか。
先日、三船敏郎さん、加東大介さんのお墓参りに行ったので、このさい『七人の侍』全員と思い、調べたら稲葉さんだけがわからないんんです。
 

スタンス

 投稿者:  投稿日:2016年 4月23日(土)02時07分20秒
編集済
  「七人の侍」が、大戦をテーマにしている、というのは、至言でしょうね。ただ、面白いのは、どちらがどちらか分からないところで、米軍が、物量を有している、という意味で、野武士、という事ではないでしょう。黒澤監督は、先の大戦に対して、アメリカ寄りに思えてならないからです。むしろ、もともと、左翼のプロレタリアートを前身とする経験がある事から、日本の内部的な悪弊、軍部独裁によって、自壊した、と観てはいないですかね。

だから、米軍不在で、村をめぐる戦争をする、という面白みがありますよ。無論、侍と農民たちの軍隊は、日本軍でしょうし、野武士は、外圧ともなった関東軍であり、独裁の元凶と観る事も可能でしょうね。軍隊によって、自由解放ではなく、圧制をもたらすという意味では、監督が友好姿勢を崩さない米軍ではなく、敵軍としての強大な関東軍があると思います。そうしますと、利吉の妻は、従軍慰安婦となるわけですね。ここの関連は複雑です。

そして、何より重要なのは、監督は、「夢」で軍隊の亡者たちが現れ、それを、必死で拒む男の話にあるように、軍隊に対して、決して好印象を抱いていないであろう事。それは、まさに、軍隊文化に触れず、しがらみのなかった、徴兵逃れ、らしい、スタンスだと思います。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2016年 4月21日(木)20時00分35秒
  如何に戦争の惨禍が根強かったかが分かる一事ではありますね。黒澤監督は、映画の中で、真実を描く事によって、現実の葛藤を乗り越えようとしたのかも知れません。「七人の侍」が、戦時中を描くものであれば、何故、そのような舞台を戦国に求めたのか、それは、戦争の惨禍を、しばし忘れさせるロマンとしての、作品上の都合があったからでしょう。

戦国は、人の本性を描き出すのと同時に、時節の風習とか、常識とかいったものが、如何に、今の時代と異なるか、を提示すべきだと思います。だから、本作の魅力とは、重要人物が侍に集まり、その行動が、思想を代弁している事でしょう。九蔵を一言で評価した勘兵衛の慧眼はあったとしても、そのルサンチマンとして、九死に一生を得るような働きがあるのではないか、と思います。
 

『七人の侍』は

 投稿者:さすらい日乗  投稿日:2016年 4月21日(木)09時18分36秒
  戦国時代のことではなく、太平洋戦争のことなのです。黒澤明は、徴兵されていません。自伝では、徴兵検査の時、検査官が父が陸軍にいた時の知り合いだったので上手くやってくれたと書いています。1930年は、一番平和で軍縮の時代だったので、それもあり得たでしょう。
でも太平洋戦争が始まると兵隊が不足し、乙2まで徴兵され、堀川弘通氏も徴兵されています。
黒澤が徴兵されなかったのは、東宝の力であり、一種の軍需企業だったので、それもできたのです。
だが、そのことを黒澤明は、非常に慙愧に堪えぬものとしており、戦後の作品に反映されているのだと私は思います。
 

その時

 投稿者:  投稿日:2016年 4月20日(水)17時31分32秒
  「七人の侍」で、時代柄を映していない事に、忍者とかスパイといった、闇の徒を登場させていない事、
これは、重要な特徴だと思います。野武士の砦とか、鉄砲を奪ってくるあたりでは、九蔵がスパイらしき
行動力と肉体能力を発揮していますが、敵であれ、他者を貶め、騙す詐欺のような、忍者が居ない事は、
戦争に対する監督の思想が色濃く出ている、と思います。

乱世、人の悪意や欲望がたぎる時節にあって、権力者から重宝された忍者は、それじたいが、強固な
ネットワークを有していて、織田信長が、伊賀攻めをしたといっても、忍者という存在を否定した
わけではなく、豪族との領土争いというのが、実情だと思います。乱が深まるほどに、大名から
依頼されて仕事が増えるのが忍者。だから、忍者を登場させなかったのは、背反を突くような、
乱世が早期に終息する事を願っての事だと思います。

だから、「影武者」ですが、個人的にこれは、残念なストーリーだったと思います。信玄が死して後、
三年間、信長に生きているものと騙す事は、乱世のスケールダウンであって、信長という覇者は
確かに居ましたが、その個人に、多彩な展開を見せる時節が、完全に掌握されている、つまり、
先が見える事で、権力に対する卑屈な迎合が見える気がするのですよ。

大将の影武者がスパイであって、敵味方の別なく騙して続けねばならない、それは、闇だけが知る苦行でしょうね。
 

シンプルな乱は若さの証

 投稿者:  投稿日:2016年 4月11日(月)23時27分0秒
編集済
  「七人の侍」のメインテーマ、黒澤監督のベストアルバムにも収録されていますね。
キャラクターごとのテーマは、アマゾンでも検索できませんね。というか、今全スコアを抑えた、
サントラは手に入るのでしょうか。早坂さんが作曲ですから、監督がどこまで、あの曲の創作に関わったのか、
おそらく、監督の心に入るものが選ばれたのでしょうが、格調高いオーケストラではなく、
侍らしい、シンプルな曲調にありますね。

言語をメディアとした、音楽、作品世界の統一の取れたさ、それは、「影武者」「乱」などの、脚本を重視したであろう作品とは、
また違った展開を見せていますね。作品の混沌の中にこそ、秩序があるという。映画は、世界観だと思うのですが、
毎回、異才に出会う度に思うのは、良い映画には良い音楽がつきものだという事。それは、名作の顔でもあり、
感情でもあると。何か、国として日本が、独自の歌、例えば、「君が代」などの歌詞に込められたストーリーには、
歌詞は格調高く、音楽はシンプルに溌剌としたものが、選ばれている、と思うのですよ。

「七人の侍」にも、そんな、歌詞に秘められた、音楽への愛好心が隠されていると思います。音楽の根源となったのは、
紛れもなく、作品世界だと思いますから。

メインテーマを聞いて思うのは、「名のみ憎しむ 我なれど あわれは誰も 変わりなし」とか、
風の羽音を描いた些末な歌詞とかがなくても、その戦いへの運命が感じられる事でしょう。
そして、その歌詞から観える、時世の句のような文言は、戦いが課程ではなく、結果として、
捉えられている事、だから、「誰も 変わりなし」と、戦いの結果が、歴史に残らない事を悔いる
ような節がありますね。そして、歴史に残らない、真実がどれほど濃厚であるか、という事を、
対比的に描いているように思いました。

勝者の眼から裁かれていない、真実の、小さな戦い、それは身近の百姓の勝利に終わった事によって、
時の権力者を喜ばせるものではなくなったと。

だから、当時の、地を愛する事から起きた戦いとは、多分に、覇権を目指す戦国大名の、力による統一、
とは大分違っていたのでしょう。だから、あの村は、非力ながら独立を目指したのではないでしょうか。
大名に守ってもらうのではなく、自分達の手で何とかしたい、と思ったのでしょう。
侍たちの人の絆、その作って行く様は見事ですね。わずか七人の手勢で戦地に向かった、勘兵衛の決断、
あれは、百姓たちが、戦国にしては非力すぎる、と歴史家などは批判的だそうですが、だからこそ、
鍛え上げれば、侍も百姓もなく、戦えるようになる、自分が七人以上の侍を育て上げるという、
気概が感じられます。菊千代はその化身ですしね。

監督の「映画=写真」というのは、嘘偽りも甘言も嫌い、真実の一面を再生していると思います。
 

「侍のテーマ曲」と、「青いカナリア」

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 4月11日(月)11時18分57秒
        『七人の侍』の音楽は 5つのテーマ曲から成り立っているそうですが


     「野武士のテーマ」 は  太鼓と弓づるで 不気味さを表現

    「百姓のテーマ」は  男性ハミング、コーラスで 野武士におびえる恐怖のうめきを表現

     「菊千代のテーマ」は  ボンゴと、サックスで とぼけた人物像表現

    「志の のテーマ」は  叙情的な雰囲気に重点を置いて表現

     「侍のテーマ」は マーチ風にアレンジして 勇壮さを表現


 だったそうです。



  最後の「侍のテーマ」のエピソードですが こちらだけが中々決まらず

監督から

   「もう (書き溜めたのが)ないのかい?」  と聞かれて

 早坂氏は 自信なさそうに 紙くず箱から破り捨てた楽譜を出し 弾いたそうで



  ♪~~ タン ・ タン  ・ タン  ・ ターン  ・ タタ  ・ タ-ン ・ タタターン~~ ♪


と聴いた途端に   「それ! それ!」 と叫んで

  「もっと勇ましく!」   「もっと 哀しく!」   と注文を出し


 早坂氏は 注文に答えた結果    「おっ! いいじゃないか」・・・・

と 多いに気に入り あの有名な「侍のテーマ」の名曲が誕生したそうです。



  ここで タイトルの 「青い鳥」ですが 早坂氏が何故 労作を捨てたのかの疑問が湧きますが

 弟子の 佐藤勝さんのコメントで

オリジナリテー を心掛けていた早坂氏が  この曲を 作ってから

当時 流行っていた アメリカの 「ブルーカナリア」に似ているような気がして

紙くず箱に 捨ててしまったようです。

   と話されていたそうです。

http://9

 

理由

 投稿者:  投稿日:2016年 4月 8日(金)17時25分0秒
  「七人の侍」のラストは、武士としてのプライドとか、面子に関わりなく、散って行った他の侍たち、
そして、百姓たちに寄せられた大義の在り方が如何に大きかったか、という事で、そうした、目的とか、
名分をなくしたのが、奇しくも、「雨あがる」などの、江戸期の時代劇だと思います。

時節が、平和になるという事は、個人の時代となり、人間に迫る事、それによって、革命とか、
覇権の為の戦争というのは、確実に減って行く、と思います。

「七人の侍」も、侍たちが何のために行動しているかが、いまいち分かりません。出世とか、
ビッグネームになるための戦働きであれば、いくらでもあったはず。そして、農民の側に立つにしては、
革命への戦略、つまり、一村の物量的に圧倒的に不利な籠城戦に従うよりは、もっと多くの侍仲間を
募るべきだったはず。だから、劣勢の戦いだから、面白い、という事かも知れませんが。
 

「七人の侍」のレコード 2枚

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 4月 8日(金)15時22分26秒
     黒澤監督の鶴の一声で レコード化されたそうで

  その一枚は  SP盤で
        A面は「侍の音楽」 のタイトルで
                    「野武士のテーマ」 から始まり 「侍のテーマ」

        B面は 「麦刈りの音楽」 のタイトルで
               「志乃のテーマ」  から始まり 「麦刈りのテーマ」  「菊千代のテーマ」の順に

           最後は 「七人の侍」を織り込んだ 上手い配列になっているそうです。





 そして  もう一枚の「七人の侍」のレコードですが 3ヶ月ごろ後に

あの 山口淑子さんが  コロムビアからレコーディング されていたそうです。


  ♪旗のように侍は  嵐の中にひるがえる
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  苦しい時も爽やかに  名のみを惜しむ我なれど

  あわれは誰も かわりなし♪



  2番   ♪ 風のように侍は 大地の上を吹きすぎる

        ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     昨日見し人 今日はなし   今日見る人も 明日あらじ


     明日とも知らぬ我なれど   今日は人こそ哀しけれ♪



   ーーーーーーーーーーーーーーの 部分は はやし言葉があてられてました。

  土屋さんが演じた  お百姓さんが田植え歌を作る際に、


  日本中から集めた はやし言葉が役に立った。

と 書いてありました。

作詞は監督も 手を貸したらしいけど 作詞、作曲は早坂文雄さんとなっているそうです。


http://9

 

「七人の侍」の勘兵衛の ラストの言葉

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 4月 8日(金)14時35分54秒
   ーーーーーーーーーー勝ったのは あの百姓たちだ。我々ではない

   と言うセリフの意味を 監督はあちこちで質問されて


ーーーーーーーーーーーー百姓の中には 藤原釜足のようにずるいのもいるし、土屋のように賢いのもいる。

     しかしどんな場合でも、 大地と共に根強く、生き続けてい

      それに対して侍は、大地をさっと吹きすぎていく風のようなものなのだね。

   と 答えていたそうです。



  シナリオでは
      ーーーーーーーーーーー勝ったのはあの百姓達だ。 わしたちではない。

  のあとに

    ーーーーーーーーーーーーーーー侍はな、 この風のように、大地の上を吹きさらって通り過ぎるだけだ。

        土はいつまでも残る

 だったそうですが、それではくどくなり過ぎるという理由で、本編ではカットしたそうです。

http://9

 

シークエンスの妙

 投稿者:  投稿日:2016年 4月 6日(水)20時28分20秒
編集済
  監督の手法はいまだよく分からないところが多いですが、言葉の力を非常に大切にしているように思います。
カラーになってからは、とりわけ、撮影の段階に入る前に、脚本を重視し、それが、良くも悪くも、
現場の創意工夫やひらめきを大切にしない、管理的な手法に陥ったのではないかと思いますが、
「赤ひげ」で高名なクラシック音楽が、そのままのシークエンスに当てはまり、何も観づらいものはない、
という、確か「影武者」でも、騎兵音楽をそのまま当てはめて影武者が、殿様のふりをして、馬上にて
駆け抜けるシーンがありましたね。あれは、音楽も映画も、その基本は言葉であり、その共通点が必然的に、
演出になって現れた、という事だと思います。

「酔いどれ天使」の親分の曲は、貴重な情報ですね、ありがとうございます。
演出としては、あの曲が、何かを象徴する、つまり、盛り場のボスの座が入れ替わり、今までの
松永の君臨のころのような平穏は望めない、むしろ、抵抗すべきは、松永を敬愛して来た、街の方こそが、
危険なボスの登場には警戒すべきではないかと思います。それも、抗争は天の上の事で、庶民の預かり知らない事、
だったら、眞田のように、奔放に生きて何が悪いか、と勘繰りたくなりますね。
眞田と結核を戦う女子高生、そして、対比として松永のやくざの世界は、まるで、別世界で、その極は、
純粋な一般人であればあるほどに、「異世界」として、どこか遠いところに行ってしまいますね。
だから、その双方を知る、あるいは、もっと多極的かも知れない、世界を、貧乏医師眞田が天使のように見守る、
あれは、実にポジティブな監督らしい、人の力を信じた、ユートピアのようにも思います。

http://shinryuha.exblog.jp/

 

「酔いどれ天使」のテーマ曲

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 4月 5日(火)09時45分11秒
編集済
     音楽家の早坂文雄さんは、「酔いどれ天使」の

 山本礼三郎扮するヤクザの親分が 刑務所から出てきて

 自分の古巣へ帰り 泥沼のきわで ギターを借りて弾く場面の曲について


 監督からの注文は

      ーーーーーーー <三文オペラ>の "人殺しの歌"みたいな曲を作って欲しい

   だったそうです。


   あの泥沼の背景とマッチした曲は 今でも忘れられない曲です。

 山本さん、演じるヤクザが出所してきて 三船さんが対面した際の

 三船さんの 格上の人間に対する 卑屈で、それでいてドスのきいた声音で挨拶する場面は
 とてもリアルに感じました。


 監督関連の本で あの役で、三船さんのイメージが固まるのや、

若い人達への社会現象を恐れ 次回作には真逆の生き方の人物の構想を練り


医師役をキャスティングした。

 の意味の文を読んだことありました。
 

http://9

 

 <復刻版>銀座 並木座ウィークリー

 投稿者:みどり  投稿日:2016年 4月 4日(月)11時17分58秒
   の中から 下記に紹介させていただきましたが

並木座がオープンの昭和28年から 33年までの
無料で配られたパンフレットや
関係者に配られたリーフレツトが転載されたものを載せたそうです。

高峰秀子。 小林桂樹。 森繁久弥。 市川昆。 岩田専太郎。 池部良。 中原ひとみ。

 さん達が 数回に渡り イラストを飾っている号もあり
小林桂樹さんが 1番多く登場されてます。


  パンフレットの中では <観客席>のコーナーがあり 観客の要望や感想を紹介し

           <支配人室>のコーナーでは それに答える形で。


     観客席ーーーー   場所が分かりにくいです。

     支配人室ーーーーー  サンドイッチマンを頼みました。

  なんていう応答が のどかに感じました。

 <並木座友の会>というのがあったそうで  特典として

 入場券割引き、バッチ贈呈、   試写会、座談会、撮影所に招待 etc........


会費は 一期分 (一般 百五十円 。 学生 百円)
と書いてありました。

 なお 当時の入場料は 55円だったそうです。
 
 

評論とは

 投稿者:  投稿日:2016年 4月 1日(金)17時43分34秒
  黒澤映画の壮絶な失敗、って、何のつもりで書いているんだよ、とこちらも言いたくなってしまいますね。
監督が、評論家を嫌っていた、というのは、何も、映画界に、新たな圧力団体として、評論家が力を持つ事を、
嫌っての事ではないでしょう。監督自身、評論家こそが映画界の無政府状態を正してほしい、と言っています。

翻すと、映画産業の低迷とは、メディアに変化、つまり、テレビの登場による、映画館への観客の減少と、
報道メディアとしての、映画からテレビへの主人公の推移にあるでしょう。
だから、監督の提言とは、評論が映画製作者にとっての「内なる脅威」となる、愚かな妨害行為ではなく、
メディアとして、堂々たる戦闘態勢を取り、他の新興メディアに伍して行って欲しい、という事だと思います。

「生きる」の主人公は、やくざの青年であって、眞田はその庇護者であり、教師役だと思います。
だから、松永が純然たるやくざもの、というのは、的外れも甚だしいですね。むしろ、教え子として
対応するのは、あの溌剌とした、同じく結核を患う少女だったと思います。
 

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