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エイプリルフール

 投稿者:α編集部  投稿日:2016年10月23日(日)12時59分4秒
返信・引用
  .

          エイプリルフール 





  二OO九年・エイプリルフール


 今日は四月一日、そう、エイプリルフールの日である。どのような見事にそしてユーモ
アのある罪のない嘘をつくか思案中だが、そのいわれについて少し知りたくなった。

 Wikipediaで調べると
 エイプリルフールは、日本語では「四月馬鹿(四月バカ)」、漢語的表現では「万愚節」
または「愚人節」、フランス語では「プワソンーダヴリル」Poisson d'avril,(四月の魚)
と呼ばれる。なお、日本では四月一日は、「日ごろの不義理を詫びる日」だった。
 イスラム教においては、この習慣はコーランに著しく反しているため強く禁止されてい
る。エイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフー
ルの習慣が始まったかはわかっていない。有力とされる起源説を以下に挙げるが、いずれ
も確証がないことから仮説の域を出ていない。
 その昔、ヨーロッパでは三月二十五日を新年とし、四月一日まで春の祭りを開催してい
たが、一五六四年にフランスのシャルル九世が一月一日を新年とする暦を採用した。これ
に反発した人々が、四月一日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。
 しかし、シャルル九世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝ってい
た人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ十三歳たっ
た少女までも含まれていた。
 フランスの人々は、この事件に非常にショ。クを受け、フランス王への抗議と、この事
件を忘れないために、その後も毎年四月一日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようにな
っていった。これがエイプリルフールの始まりである。
 そして十三歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、一五六四年から十三
年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とすると
いう風習も生まれた。その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなった
が、「嘘の嘘の新年」は次第に人々記憶から消えていった。

 インドで悟りの修行は、春分から三月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じること
から、四月一日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。

 日本で、エイプリルフールが広まったのは「パチンコの負けをごまかすためにこの日に
スリにあったと嘘をついた者がいた」ためとする説があるが、パチンコのない時代からこ
の日に嘘をつく風習が記録されており、これ自体がエイプリルフールの可能性がある。

 さて、いままでの私の嘘を思い返すと、仕事に行き詰まったから暫くの間姿を隠す、探
さないでくれといったFAXを友人に送り旅行に出たことがあった。人に対して迷惑をか
けないようなこの手の嘘をいくつかついたが、結果的にはその嘘が真となったことである。
だから今年は「二億円の宝くじに当たった」、「絵の公募展で特選になった」、「屋敷から
金の鉱脈が見つかった」、「芥川賞にノミネートされた」、「いままで知らなかった叔父さ
んから遺産相続の話が湧いてきた」とか、いろいろ現実にはあり得そうもない、しかし真
実になってくれと願う妄想を考えつくのだが、さてそれを信じる友人がいそうもないので
ある。信じてくれなければこの遊びもまったく面白くない。やはり世相にあった暗い話題
が真実味があって、信じてもらえるのだろうか。そのような嘘がまた真実になると困るか
ら、今年は嘘をつかないことに決めた。



  二O一一年・エイプリルフール


◆宇宙語を解読できた。
◆今日最後の乳歯が抜けた。
◆今年は嘘をつかないことにした。
◆二十九回目の転居を目論んでいる。
◆人生の意味がやっと判った。
◆今日は一度も呼吸をしなかった。



  二〇一二年・エイプリルフールに語る真実


◆今日から太陽は西から昇る。
◆今日から逆さ時計を採用する。
◆今日から嘘をフィクションと呼ぶことにする。
◆今日から饒舌をやめ沈黙に徹しよう。
◆今日からひけらかしと自慢で紙面を満たそう。
◆今日から天国への階段を組み立てよう。



  二O一三年・エイプリルフール


◆アメリカ国防省から急速、青森県三沢空軍基地、神奈川県横浜海軍基地、沖縄の米軍基
 地防衛のための最終兵器「リターン・パス」の設置依頼が、「無限回廊」物集班(もづ
 めはん)に寄せ られた。しかしこれは武器輸出三原則に抵触するのではないかと迷っ
 ている。

◆甲子園を沸かしている高校野球の決勝戦に覆面の豪腕投手が投げるという噂がある。
 時速二〇〇キロを出すというが、アンドロイドではないかとか、スーパー・サイボーグ
 ではないかと疑われている。
 しかし改造人間であるとすれば、その肉体的な能力の補強はとこまで許されるのか。
 インプラントによる歯の矯正は? 強力レンズ眼鏡による視カアスフは? 催眠による
 マインドコントロールは?

◆遺伝子操作による新種の大根が発明された。それによると大木の枝にぶら下がって実り、
 秋になり木枯らし一番が吹くと適宜に乾燥し、そのまま漬け物樽に漬けることができる
 という。

◆本郷冷熱の地下ラボでは、早春になると大陸から黄砂やPM二・五などの有害物質が日
 本の空に偏西風に乗つてやつてくるから、地球を反対回りにする研究を進めている。も
 うすでに完成まで七九%に達しているから、近日中に太陽が西から上がる、すなわち偏
 東風が吹き有害物質はヨーロッパに向かうことになるだろう。

◆今国会で健康被害による喫煙をなくし医療行政の圧縮を試みるために、「禁煙した人に
 は」月額一万円の禁煙手当を支給するという法律を作った。しかし今まで吸っていなか
 った国民が続々と喫煙を始めたので大騒ぎになっている。



  二O一四年・エイプリルフール


◆STEP裁縫
 作成に当たっては、機械を用いる場合と手仕事の二つがある。今までない物質と模様を
合成させて、あらゆる形態に変化できる画期的な発明だ。これをSTEP裁縫と呼び、ち
なみにSplender Time of Ending Peaceの頭文字をとってSTEPという。意味は複雑すぎ
て一般の人に分かるように説明することは困難だという。科学誌ネーチャンに掲載される
も、世界中で三人しか理解出来なかったといういわく付きの論文だ。
 遠都大学(とうとだいがく)の滝沢馬券(たきざわばけん)教授のコメントによると、
世界の三大発明の一つという歴史に残る素晴らしいものだが、私には難解すぎて皆目判ら
なかったことを告白しなければならないと語った。

◆フジノミヤ国独立
 我々不二山に隣接する市町村のフジノミヤ最高議会は住民 投票の結果、九九%の賛成
票を得て、オソロシヤ憲法第八章に基づきここにフジノミヤ国独立を宣言する。ただし公
海に面していないので、外交および防衛問題についてはオソロシヤの憲法のもとになされ
る政権の意思決定を遵守する。

主旨……
不二山は古来より国土の中心に位置し、かつ周りに山々を従えない独立峰で、国では一番
の高さをもつひときわ美しい姿をしていて、まさにオソロシヤの象徴としてふさわしく、
また全国民の心の故郷である。しかし近年心ない観光客による霊峰不二山へのゴミ投棄や
山菜盗伐など、またオソロシヤ軍隊による山肌への砲弾の撃ち込みなどの不敬行為が目に
余るようになった。而して世界遺産に登録されたこともあって、その霊峰不二の自然と威
厳を守るために住民の悲願として、ここにフジノミヤを国として成立させた。

行政上の基本事項……
1 国名 :フジノミヤ国
2 宗主 :花咲耶姫
3 公用語:仮名まじり漢字 準公用語:宇宙語
4 通貨 :モロ (7、11、17、19進法のうちどれか未定)
5 入国に関しての規制:入国交通料、霊峰参拝券その他環境維持のための費用
  (これに違反したものは十倍かえしの反則金を徴収)
6 その他:食料、飲料水、酒等の持ち込み禁止
  観光案内はフジノミヤ国の資格を得たフジノミヤ在住の案内人を雇うこと
  入国時には霊峰不二山に向かって必ず二礼二拍手一礼すること

参考…オソロシヤ憲法第八章(地方自治について)
  地方自治の本旨は以下の二点からなる。
  住民自治…住民自らが地域のことを考え、自らの手で治めること
  団体自治…地域のことは地方公共団体が自主性・自立性をもって、国の干渉を受ける
  ことなく自らの判断と責任の下に地域の実情に沿った行政を行っていくこと。



  二O一五年・エイプリルフール


 メン・タン・ピン大学サイエンス評論学科の門前雀羅教授は、オキシモーラン社に対し
て次のような高い評価を与えている。
 「我が国には物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研究まで行う
国際的に高い研究業績と知名度を持つ独立法人・理科学研究所がある一方、世界的な研究
成果の量はともかく質においては、侵略国の攻撃意欲を完全に萎えさせる最終兵器『リタ
ーン・パス』および、夢のような永久機関『パワー・イーター』等、世界の存続にかかわ
る戦争やエネルギー問題という重要な案件を解決してきたことから鑑みると、研究の質に
おいてはけっして理科学研究所にひけを取らない立派な会社であると言える」と述べてい
る。
     参照:『リターン・パス』『パワー・イーター』『無限回廊』第十回掲載
                            http://2style.in/alpha/33-7.html

 そこで今日社員であるキメラ十一号は、特別みなさまにオキシモーラン社の素晴らしい
商品である「スカウター」及び「ニート・ボール弾」の二つを紹介したいと思っている。

◆スカウターについて
 先日鳩闇憂気終元首相がウスライナのクリノミ半島を訪問し、「オロシアのクリノミ編
入問題」について肯定的な意見を述べたと伝わってきた。たいていの政治家は非難される
と「真意が伝わっていない」と釈明する。それでも不利になると病院に逃げ込むのである
が、当の元首相は豆鉄砲を食らったようないつもの表情をしていて、一向にその行為の重
大さに気づいたようすも、恥じたようすもないようだ。刹那的であったとしても、かりそ
めにも世界の冠たる成熟した法治国家であると自認するヤバン国を行政の長として治めた
偉い人なのだ。
参考としてウスライナ憲法を見てみると、
第1条…ウスライナは主権国家であり、独立した民主的かつ社会的・法治的国家である。
第13条…鉱物資源・空気・水及びその他天然資源、領海内の天然資源かつ排他的・経済
     水域はウスライナ人が所有権を有す。
第14条…土地は国の特別な管理下にある、基本的な国の財産である。土地の所有権は認め
    る。国民がその権利を法の範囲内で個人及び法人・国と取引することは認める。

しかしウスライナ国の一部であるクリノミが住民投票の結果独立宣言をしオロシャに帰属
すると宣言した。これはウスライナ憲法、そして国際法上に違反していると思われ、一国
としての主体性の崩壊につながりかねない大問題なのだ。
だがクリノミ紛争から見えてくるのは、政治的なものだけではなく今回はもっと地球の運
命に関わる重大かつ深刻な問題といえるのだ。元首相は身内からも「遂に本物の宇宙人に
なった」とあきれられたという話を聞く。それが真実とすればこの世界の至る所に、地球
の良識を混乱させて征服しようとしている人間になりすましたハトポ。ポ星人で満たされ
ているのではないかと思われるふしがある。そして彼等は地球人の知らないうちに知識や
芸術や経済等の主要な地球の文明のシステムを牛耳っているのではないかという疑念であ
る。

そこでオキシモーラン社により開発された有力な最先端科学製品がスカウターである。
それはかの有名なアルセーヌ・ルパンが使用していた片眼鏡(モノクル)のようなものと
思っていい。そのスカウターの旧式のものは、「ドラゴンボール」に登場する異星人の
「フリーザ」および彼の部下の「ギニュー陸戦隊」が使う、通信機能と生命体探索機能を
兼ね備えた装置で、片耳に取り付け付属する半透明の小型スクリーンに、生命体の戦闘能
力を数値化した情報や、その対象への方角や距離が表示されるという情報機器なのだ。
オキシモーラン社はその優れた機能をさらに改良してより強力なスカウターを開発、量産
することに成功した。……
でその付加された機能は左記の通りである。

1 人の姿をした異星人を簡単に見分けることができる
2 異星人の嗜好及び思考を簡単に解明することができる
3 異星人の肉体的、精神的な弱点を簡単に知ることができる
4 異星人の心を簡単にコントロールすることができる

しかし完成度は高いがただ一つの問題があるということを、虚報真報の主筆である滝沢
馬券氏により暴露された。
「もし異星人が不法な手段でこのスカウターを手にし使用した場合は、人間を異星人とし
て認識した異星人は、人間の弱点をつぶさに知るところとなるだろう」と。
オキシモーラン社はこの指摘を真摯に受け止め、引き続きこれからの重大な課題を克服す
べく努力を惜しまないが、同時に地球人・異星人を問わずみなさまの忌憚ないアイデアを
募りたいという声明をだした。

◆ニート・ボール弾について
 今、世界の諸葛孔明を自認する優秀な軍師達を悩ましているのは、中東の「イスラミ国」
「シルヤ」「イクメン」などの紛争がある。しかし無法者の彼等が敵による空爆や突入に
備えて民衆を盾として大都市に立てこもり抵抗している。
そのようなイスラミ国等の人道にもとる強固な体制を崩すのは容易ではない。投下する味
方の戦力は限りを知らず、民衆の被災や都市の破壊などの犠牲が大きすぎる。
さてここでオキシモーラン社の委託を受けた「物集班」は、本郷冷熱の地下室の「ベルソ
ナー異界&ラボ」ではひとつの有力な兵器を開発した。それは「ニート・ボール弾」であ
る。作り方は企業秘密が多くてここでは明かせないが、理論は実に単純である。敵が人質
をとって立てこもっている場所に「ニート・ボール弾」を打ち込むと、即座に町全体にバ
リアーが張られ、内部にニートガスが満たされる。
その効力は下記の通りである。

1 住民はリラヨクスして睡眠状態になる
2 戦力を喪失し、「AK-47通称カラシニコフ自動小銃」の重さでさえ耐えかねて、自
  動的に武装放棄したイスラミ兵を捕虜にできる
3 住民のニート・ボール弾による症状は解毒剤によって二十四時間以内に元に戻すこと
  ができる
4 イスラミ国の兵は二度と過激な精神にならないように、継続して「ニート・ボール弾」
  の影響下に置く
5 世界中のニートの若者から提供された「ニート精神」が紛争地域に平和をもたらした。
 虚報真報の主筆、滝沢馬券氏のコメントによると、前の四項目に加えて、無気力な若者
からニート精神を削除して、見事に勤労青年に変えたという効果は、平和な地球を作り上
げる目的にかなうもので、一石五鳥の「ニート・ボール弾」の発明は実に素晴らしいこと
である。
 しかしこのような白兵戦のための最終兵器と言えるものでも問題はある。今日、チュネ
ジアは国境警備で必要な暗視車の提供をヤバン国に要請という虚報真報の記事がみられた
が、これは武器ではないのか。海上自衛隊の飛行艇は救難用としてインドに売られるのだ
がそれでいいのか。しかし「ニート・ボール弾」がいかに優秀な紛争終結のための武器で
あっても、ヤバン国の「武器輸出三原則」の理屈を崩せやしないだろう。だから世界中が
欲しがっても供給することは出来ず、紛争を収めることはまことに難しい。
 また、一昨日の株主総会で親族の「情」による攻撃を「理」でもって、薄氷を踏む思い
でかわした「かごや姫」は、イヤヤかニタリ製かいまさらどうでもいいが、ガード下の一
杯飲み屋の不安定な椅子に腰を下ろしていた。そして国内で「ニート・ボール弾」を使用
することは違法でないだろうから、次回の「犬塚家具」の紛争には必ず購入して会長にぶ
つけてやろうとこっそりつぶやいて、六十度の泡盛を一気に呷っていたことを暴露した。

     参照:本郷冷熱の地下室の「ペルソナー異界&ラボ」
        『無限回廊』第四回掲載
                            http://2style.in/alpha/27-7.html


    


斜光21号 2016年10年10月

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山荘便り  素数・ヤマガラ・へたな職人 他

 投稿者:α編集部  投稿日:2015年10月17日(土)17時24分13秒
返信・引用
                                            .

   山荘便り 素数・ヤマガラ・へたな職人 他

    




◆素数 

 東京新聞に「これまでで最大の素数」を発見というニュースを報じていた。素数好き
としては見逃せない記事で、それについていろいろと調べて見た。
「1742万5170桁という現時点で最大の素数を、米国の素数探索団体がプロジェクト
[GIMPS]の参加者が発見した。素数の中でも特に珍しい[メルセンヌ素数]の48番目にな
る。素数とは1と自分自身以外に約数を持たない数のこと。ただし1は素数に含まない」
とある。
 どうして大きな素数を見つけようと血眼になるのか、そしてまたいま現在では円周率
πの小数点以下の計算は2011年現在では10兆桁まで計算されているというが、それらの
値を再現もなく追求することにどのような意義があるのだろうか。しかし単なる好奇心
とも言えない。そのひとつとして

○素数の効用
 それは第三者に通信内容を知られないように行う特殊な通信(秘匿通信)方法のうち
 通信文を見ても特別な知識なしでは読めないように変換する表記法(変換アルゴリズ
 ム)のことである。通信だけでなく保管する文書等の内容を秘匿する方法としても用
 いることができる。その鍵として、十分大きな素数を二つ選び掛け合わせて公開鍵暗
 号を作る等、現実に行われている手法である。

○自然界の素数
 自然界に現れる素数の一例として、素数ゼミと呼ばれるセミの一種がいる。アメリカ
 合衆国に分布するこのセミの成虫は、ある周期ごとに、13年ないしは17年間の周期で
 大量発生する。成虫になった後は、数週間だけを地上で成虫として過ごし交配と産卵
 を行う。
 このセミが素数周期で発生する理由として、寄生虫や捕食者に対抗するための進化で
 あるという説や近縁種との交雑を避けるためであるという説がある。つまり、もしこ
 のセミが12年の発生周期を持っていた場合、12の約数である2,3,4,6年の寿命を持つ
 捕食者と同時に発生してしまうことになり、捕食対象にされやすくなる。また、地理
  的に近い場所で12年周期と15年周期のセミが存在した場合、60年ごとに2種は同時に
 発生し、交雑してしまう可能性がある。すると、雑種は発生周期がズレてしまい同種
 のセミとの交尾の機会が失われる。 素数の周期を持つものは交雑が起こりにくく、
 淘汰されにくいと考えられる。
    以上Wikipediaによる。
 兎に角、数字は面白い。さらに素数好きは奇人変人が多いのかも知れないし、絶滅危
惧種ではないかという疑いがありそうだ。



◆ルーティンワーク

 アランの幸福論にあるように、人は身の回りの悩みや漠然とした恐れや不安などによ
ってもたらせれた滅入る気持ちに陥った時、その原因を一心不乱に探したり、反省や自
責や悔いることで,ますます頑なになっていく。体の筋肉は硬く緊張し、肺は新鮮な空
気を取り入れる力はなく、血液はうまく循環することはできず滞り、腸は働きを止め活
動が鈍くなってくる。
 そんな時は思考を停止して、体を動かし筋肉を和らげ、深呼吸等をして精神の安定を
取り戻す方がよい。背伸びをしたり、屈伸運動をしたり、顔や手を洗ったり、お茶など
を飲み、音楽を聴き、散歩したりする。
 私はある作業や仕事や創作に倦いたときは、それらの達成のために必要な義務感や意
志の力に強いられることなく、すぐさま別のことをすることにしている。たとえばコン
ピュータの前で設計図を作成したり、物語の構想を練ったり、難しい本を読んだりする
ことに飽きると、家を出て林に分け入り薪ストーブを焚きつけるに最適の杉の枯れ葉を
集めたり近所の大工さんから貰った白樺や唐松の丸太を小さく切ったり割ったりして薪
にする。また少し疲れたり腰が痛くなると山荘の周りの山道を小一時間ばかり散策し、
赤松や唐松、杉、木楢、椚などの姿や葉の色を観察したり、動物の足跡を探したりする。
 この歳になり多少の余暇の時間が多くなってみると、諸々のルーティンワークも考え
ようによっては効能があるのではないかと思えるようになった。
 まず、朝起きて窓のカーテンをすべて開け、薪ストーブに火を付ける。コーヒーを飲
んだ後二摘みのピーナッツを小さく砕き、小鳥の餌台に載せる。ヤマガラやコガラがそ
の餌を啄むのを眺める。掃除とか洗濯、食事の用意、ゴミ捨て、薪拾い等の生産性のな
い毎日繰り返される些細な仕事を、嫌だと思ってしまえばこれほど面白くなく不毛な行
為だと思え、苦渋を感じることもあるだろう。しかしまったく自堕落な生活でも可能な
者にとっても、そのルーティンワークは一日の生活の一定のリズムを作る効果、また仕
事や趣味に倦いたときのリフレッシュという効能を考えると、精神的にも肉体的にもあ
ながち悪ことばかりとは言えないのではないだろうか。
 しかし、この文章を我が細君に見られると、「だったら毎日の三度の食事作り、洗濯、
風呂の掃除などなどのルーティンワークをすべてやってよ」とこれ幸いに反撃をしてく
るにきまっている。  あぶないあぶない。



◆ヤマガラ 

 この山荘に移って来てからまもなく、小鳥の餌を毎朝与えている。蛇や鼬鼠や貂など
の鳥の天敵がよじ登れないようにと考えて、コールタール焼き付けの小さな鉄製の餌台
だ。
 今のところ集まってくるヤマガラやコガラは、店で買った小鳥用の麻の実などよりも、
ピーナッツを2ミリほどに砕いたものが好きなようである。正確に数えたわけではない
が特にヤマガラは10数匹が四方の林から入れ替わり立ち替わり飛んできて、朝早くか
らまだ何も入っていない餌台をまだかまだかと催促しているように揺らしている。
 この前はいつも通らない山道に踏み入った時、大きな罠を見つけた。この近くの害獣
の指定された猿や鹿、猪、熊等を捕獲するためのもので、太い鉄筋を竪格子状に組んで
作られた幅1メートル、奥行き2メートル、高さ1.5メートルの、すこぶるゴツイ代物
である。奥に吊してある餌(鶏だろうか?)をくわえると入り口の扉がストンと落ちる
ようになっている。まだ実際に罠にはまった動物は見たことがないが、ある日山道の入
り口に、お揃いの柿色のシューティングベストを着た猟友会のメンバーが忙しく出入り
していた。犬が吠えていたのでたぶんなにかが罠にかかったのだろう。
 人が餌付けしている訳ではないが、最近人里へ頻繁にそれらの野生動物が出没する。
どうもゴミ置き場の餌になるものを漁るらしい。
 そういうことを考えると、小鳥に餌を与える方がいいのか、与えてはいけないのでは
ないかと考える。 野生動物に対して餌付けが行われるのは、大きくは二つの目的があ
る。給餌による保護を目的とする場合と、観察を容易にするためである。
 絶滅危惧種ならともかくそうでもない動物たちに、安易に餌を与えるとその種だけが
繁殖したりしないか。野生としての餌を探したりする能力、飢えに耐える能力が失われ
るのではないか。人間に対する警戒をゆるめさせるのではないか。特にある種の物だけ
が増殖してその環境が変化して、自然のバランスが崩れないかという懸念だ。
 ヤマガラは神社のお祭りで「おみくじ芸」をするほど、人に馴れやすく学習能力も高
いので、たぶんそのうち私の手の上のピーナッツを啄むようになるだろう。だがそこま
で馴らしてみようとは私は思っていない。家の外に出ると餌をせがんでいるかのように
チチッチチッとうるさく鳴くようで、最近は餌台に通うヤマガラ達は少々肥満になった
ように見えるのだが、思い過ごしだろうか。

     
          野鳥図鑑より



◆へたな職人 

  先日ポール・ハーディング著「ティンカーズ」(小竹由美子訳 白水社)という本を
読み終えた。ちなみに題名の「ティンカー」とはどういう意味か。辞書によると「いか
け屋」「へたな職人」とある。
 物語は時計修理人の主人公ジョージ・クロスビーが死ぬまでの八日間に、父親のハワ
ードや家族との思い出とともに、様々な幻覚をみるという筋である。その父親は森のな
かの人々の要求を叶えるために、ティンカー、ティンカー、ティン、ティンとバケツや
ナベなどの金物のぶつかる音をさせながら、荷馬車で色々な生活雑貨を積んで売り歩く
暮らしをしていた。時には鋳掛け屋、鍋細工師としての仕事もしたが、たいていはブラ
シやモップの行商人だった。
 主人公ジョージの死の床での思考はすでに朦朧としていて、白昼夢にちかく時系列に
従わないもので、読者の私にとっては筋を追うことに難儀をした作品だ。とはいえ、私
の読書傾向は推理小説や冒険小説や時代小説のように筋を追う物語よりは、意識の流れ
を描くものが多いようで、いつも苦労している。しかし好みとはやっかいなもので、謎
解きや事件の進行など気楽に読める作品でも、好みでないものはすぐに途中で投げ出し
てしまうのだ。それに名前と場所と環境を変えただけで同じプロットで繰り返されるシ
リーズものの小説等、その作り手の安易さ、読者の興味を刺激することばかりに気を配
った作品、最後にどんでん返しを得意とする技巧をこらした作品にはうんざりだ。
 作者ポール・ハーディングの創作方法が私の日頃のそれによく似ているので驚きであ
る。作者は教職の空き時間に、ノート型パソコンや手近の紙に、時系列は関係なく思い
ついたシーンから文章を紡ぎだしては記録していった。プロットを構築するのではなく
言葉やイメージを追いかけた手法はハーディングに合っていた。そして最後に彼は書い
たものをすべてパソコンに打ち込んでプリントアウトし、床に並べ、絵画で言うコラー
ジュのように切り貼りして構成を整えるという。
 しかし今時、パソコンやワープロを使わないで、完結するまで原稿用紙に手書きで書
き進める人は、私にとっては驚くべき才能に思われる。小さな訂正や添削はあっても、
全体の流れや筋を頭に入れながら入り口から出口まで完璧に作り上げるのは私にはとて
も出来そうもないのである。



◆春一番の花

  春の山で一番早い花
ここは藪椿など冬に咲く花木がないために、杉や檜、樅の木以外は枯れ葉色一色の山肌
になる。そして一番早く花を着かせるのはキブシとサンシュの花である。
 コブシは蕾は膨らんではいるがまだ咲かない。キブシは夏、房状になる青い実を見て、
植物図鑑を探したが何の木か判らなかった。今日その花を見たので再び調べた結果それ
だと判明した。気になっていたことが解けてちょっと頭が軽くなった。
 サンシュは夏の樹形はまったく覚えがないが、春の先駆けに黄色い花が咲くのを覚え
ていた。どちらの木の花も控えめに咲くので、あまり華やかさはない。人工的に栽培し
た色鮮やかな花々で満ちている都会と違い、色のない山肌にささやかな生気のある芽生
えが私の気持ちを前に進ませる。その稀少さが他の派手な花々より効果が大きいといわ
ねばならない。

○キブシ(木五倍子) Wikipediaより
樹高は3m、ときに7mに達するものもある。 3-5月の葉が伸びる前に淡黄色の花を総状花
序につける。長さ3-10cmになる花茎は前年枝の葉腋から出て垂れ下がり、それに一面に
花がつくので、まだ花の少ない時期だけによく目立つ。
   

○サンシュユ  「ハルコガネバナ」
内部にある種子を取り除き乾燥させた果肉(正確には偽果)は生薬に利用され、 山茱
萸(やまぐみ)という生薬として日本薬局方に収録されており、強精薬、止血、解熱作
用がある。果肉は長さ1.4 cm程の楕円形。牛車腎気丸、八味地黄丸等の漢方方剤にも使
われる。
   



◆私の嫌いな10人の人びとを読んで

 変人、奇人である哲学者・中島義道の本「私の嫌いな10人の人びと」が、貸していた
ところから数年ぶりに帰ってきた。不思議なことに私の本だということがよく分かった
ものだ。その人は本棚の整理をするとき、小難しい、しかもひねたことが書いてある書
物を読むのは、私しか思いつかなかったからだと私は憶測した次第である。それほど世
間の常識に楯突くことを書き連ねていて、一般には受け入れられている行為を糾弾して
いるようで常識人は不快になるのだろう。

 1 笑顔の絶えない人
  ・笑顔の絶えない顔は気持ち悪い
 2 常に感謝の気持ちを忘れない人
  ・感謝の気持ちを他人に要求する人
  ・日本的商人道徳への違和感
 3 みんなの喜ぶ顔が見たい人
  ・家族至上主義
 4 いつも前向きに生きている人
  ・考えない人
  ・厭なことはみんな忘れてしまう人
 5 自分の仕事に「誇り」をもっている人
 6 「けじめ」を大切にする人
 7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
  ・対立を嫌う人々
 9 「おれ、バカだから」と言う人
10 「わが人生に悔いはない」と思っている人
  ・さっさと満足して死になさい

 中島義道の言わんとするところは、常識的な心地よい言葉ですましていることへの不
信である。その言葉の底の底まで考え抜くということをしないで、美辞麗句を使ってい
ればすべてうまくいくという割り切り方、安易さが嫌なのだと思う。本の帯にも「いい
人」の鈍感さが我慢できないと書いてあった。
 たとえばボランティアなどを進んで行う人には敬意を払うが、自発的で無償な行為で
あるはずのことを人に言いふらすのは、何かの見返りを求めているようで見苦しい。そ
こにはしてあげる」という意識が有りはしないかなどの解釈が成り立つだろう。
 しかし吉田兼好も言っているように「何もしない批評よりも偽善でも行動を」第85段
は大して何もしない私にはぐさりと胸に突き刺さる言葉である。

 ちなみに変人・奇人の作家はドストエフスキー、カポーティ、シラー、ジェイムス・
ジョイス、夏目漱石、江戸川乱歩、夢野久作、太宰治、吉田健一、久生十蘭、内田百間、
泉鏡花、坂口安吾等々。
                       完

斜光20号 2015
 

山荘便り 小倉 厚子さんのこと 他

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年12月31日(水)19時12分41秒
返信・引用
  .

       山荘便り 小倉 厚子さんのこと



◆小倉 厚子さんのこと
 茶道を教えて親子三代、祖母さんとお母さんと彼女の三人家族で、男っ気はなかった。
一方私の周りはと言えば兄そして従兄弟も男ばかりで女っ気はなかった。だから私は姉
か妹がいればもう少し人間関係にゆとりのある付き合いを会得できたかも知れないと今
では思っている。
 幼なじみといえる一人っ子の彼女は男兄弟を、私は女姉妹を望んでいたかも知れない
と推測するのは無理だろうか。いやそんなところにお互いの気持ちの共通点があったか
も知れないと思うのはあながち嘘と思えない。昨年銀座で数人で会食したときも、古希
を過ぎた私を捕まえて「かずひこくん」と「君付け」で呼んでいた。さては私が姉か妹
を望んでいたことからすると、彼女の意識は私の姉さんだった訳である。
 私達「梁(りよう)山(ざん)泊(ぱく)」と称したグループは山登りやハイキングに連れ
だってよく出かけた。そんな仲間であったので時々休みの日はK君と彼女の家に遊びに
行っていた。私の家から歩いて十分も掛からない距離で、大通りから左に曲がって矢竹
(やだけ)の生け垣沿いに五十メートルほど行くと、清みきった速い流れの小川があった。
石橋を渡ると川に沿った小径があり、彼女の家は石橋の斜向(はすむ)かいにあった。
渋い色に変化した羽目板張りの小体(こてい)な木造二階建てで、京都の町屋風の、まさ
に「お茶のお師匠さん」の住む家に相応(ふさわ)しいものに見えた。格子戸を開けると
三和土(たたき)が真っ直ぐ裏まで伸びていた。「お茶を点(た)ててあげましょう」とお
母さんは言って、茶室に私達を誘(いざな)った。私は靴下に穴があいていないか、学生
服が汚れていないか気にしながら観念して正座した。私はお祖母さんもお母さんも、全
く作法も知らない男の子を捕まえて、戸惑う姿を密かに観察して、からかっているので
はないかとも考えないでもなかった。しかし家での会話の乏しい男同士の時間とは違い、
この何とも柔らかい雰囲気は私にとって実に心地よかった。彼女も時々退屈すると私の
家に来て時間を過ごすことあったから、姉弟のない寂しさを感じていたに違いない。
 しかし高校を卒業すると私達はそれぞれの違う道を歩みだした。彼女は茶道という四
百年もの歴史がある日本の伝統の形式美・様式美の世界で生き、一方私はそれらの芸道
が素晴らしいことを理解しながらも約束事の中での息苦しさに耐えられない性癖ゆえ、
西洋の理屈の世界に憧れ進んで行った。その間の私達の交流は途絶えた。そして彼女は
故郷で伝統を守り続けてそれを完成させた。一方私は一所に根を下ろすことなくいまだ
に放浪に明け暮れている。
 願わくば早春の沈丁花の微かな匂いが漂う松琴亭あたりで、木村多江のような切れ長
の目をした和服の似合う彼女のお点前を戴きたいと思ったのは私だけではなく、梁山泊
の連中も同じであったろう。

                  小倉氏主催茶会
         



◆小宮 弘敬(ひろゆき)君のこと
 コンちゃんとは高校のクラスで一緒になったことがあったのか、それともなかったの
かはっきりと覚えてはいない。彼とは中学も違ったから高校になってから知った訳だが
その後短期間のうちにかなり親密に付き合いだしたのは確かである。それは高校卒業三
十周年記念のとき発行された記念誌「青春のあの日」に投稿した私の文章に書いてある
から間違いない。

   梁山泊考                   20組 古賀 和彦
 当時私の部屋は空間・時間を問わず出入りが自由で、水滸伝の面々ほど野心家や豪傑
ではなりけれど、将来の可能性を信じ、かと言って大した努力もしない連中が常に数人
屯(たむろ)していて、あたかも梁山泊の如きであった。そこで彼らのその後を、独断と
偏見をものともせず記念誌に残そうと思う。
○小宮弘敬〈通称 コンちゃん)
 写真の勉強をしていたので、てっきりカメラマンになるかと思っていたら薬九増倍の
魅力に勝てなかったか? ともあれ兼好法師も言っている様に、物くるる友、薬師(くす
し)
云々、これからはお世話になります。

 コンちゃんの家は佐賀駅から数分の、表通りから一本入った道に百草園(ひやくそうえん)
という漢方薬の店であった。時々店の奥の小川に面した彼の部屋に泊まりにいったもの
であるが、店に飾ってあるイモリの黒焼きをみて驚いたり、その他ゴウカイ、ウマビル、
アブ、サツマゴキブリ、キョクトウサソリ、マンモスの化石、タツノオトシゴなど、普
段では考えられな漢方薬の世界を覗かせてくれた。
 彼は長男だったからてっきり百草園を継ぐのかと思っていたら、大学の芸術学部の写
真科へ進学した。そのころ私は学生浪人で恵比寿の三帖一間の下宿に住んでいた。たま
たまコンちゃんは、軒を接してひしめく街・私の下宿から望む高台にある高級住宅街の
親戚の家に身を寄せていた。「小宮家は男爵から乞食までいる」などと言ってハハハと
笑っていた。
 それからまたお互いに離ればなれになって暮らしたのだが、帰省の度に百草園の店に
座っているコンちゃんを訪ねた。しかしここ数十年その機会が作れなかったのが今にな
ったらくやまれる。どこか異国のDNAを引き継いだような彫りの深い顔立ち、温和し
くてあまり自己主張しない性格は皆から好かれる一方で、損な役割を背負わされること
もあったであろう。
 私の命を託そうと期待していた薬師が先に逝ってしまったのが残念である。捻者、悪
者、嫌われ者は長生きするという諺は本当だろうか。

                 梁山泊の仲間達
        





◆熊井 浩二君のこと
 私が熊井君を初めて知ったのは、同じクラスになった高校一年生のときであった。
これでも同級生かと思ったほど私と正反対の、背が高くがっちりした骨太のいい体をし
ていた。そして寡黙で感情を現すことなく無愛想に見えるほど、真っ正面から物事を見
つめている様子は、鶴田浩二や高倉健の演ずる主人公のように、世間の不条理や人情の
板挟みにじっと黙して耐え忍んでいる「古武士」のように私には見えた。
 その当時、私達はめったに会話は交すことはあまりなかったが、人を騙したり蔑(さげ
す)
んだり妬(ねた)んだりしない、素直で誠実な人柄だと私にもやがて判った。その後学
生時代はあまり深い付き合いはなかったが、彼が勤め先であるナブコという会社の山形
工場から横須賀に戻ってきてからは、小さなグループの飲み会や、蔵王や八甲田や熊野
古道旅行などを一緒に楽しんだものだ。
 一見、堅物で正義感や侠気だけの唐変木で、文学などと言った軟弱なものに興味を示
さないように見えるのだが、どうしてどうして彼の「斜光」への作品を読めば、なんと
周りの人に優しく思いやりに満ちた、しかもユーモアやペーソスの情感溢れる作品ばか
りである。また「斜光」仲間の語らいの場として出発した掲示板「落書き帳」にも、開
設して間もなく機智に富んだシリーズもの「小話の箱」を三年に渡って楽しませてもく
れた。
 その外見と内面における印象の柔と剛のギャップは人を驚かすとともに、彼の人間と
しての高潔さや幅の広い見識をもつ人格をあらためて認めさせるにじゅうぶんである。
 また現代の打算と羊頭狗肉と朝三暮四に満ちた世の中で、もう古いと言われそうな鶴
田浩二や高倉健のように筋の通った見識、侠気(男気)は、私が「斜光」の編集委員を
辞する時、中に立って取り成そうと試みてくれたただ一人の友情に厚い人で、私にとっ
て恩人なのだ。それにしても誠実で公正な考えを具えた人物が一人いなくなったのはま
ことに哀しいことである。

       大川組小旅行
      

                  (終)
斜光19号 2014

364

 

山荘便り-鶯・杉・頤

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年10月19日(日)09時33分30秒
返信・引用 編集済
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         山荘便り 鶯・杉・頤(おとがい)



◆ 鶯(うぐいす)

 机に向かっていると窓の外でいろいろな鳥の鳴き声が聞こえてくる。数年前から朝早
く美しくしかも長く囀(さえず)る鳥の声をベッドのなかで聴いてきたが、未だにその鳥
の名前が分からない。野鳥の鳴き声というサイトで調べるのだがもう一つはっきりしな
い。
 日本三鳴鳥はウグイスとコマドリそしてオオルリと言われている。しかしウグイスで
もないコマドリでもない、そうすると残りのオオルリか。そのうち追々録音でもして識
者に判定してもらうほうがいいだろう。
 さて、今日は十㍍近くの林のなかからウグイスの鳴き声が聞こえてきた。この鳥は山
梨県の県鳥でもあり、体長16㎝、体は所謂(いわゆる)ウグイス色である。私はむしろ目
白という鳥の若(わか)竹(たけ)色(いろ)の鮮やかさをウグイス色としてイメージしてい
た嫌いがあるが、声の良さに反して実に地味な鳥だ。
「ホーホケキョ」と、まるで熱心な信者のように法華経を唱えているようなこの鳴き声
は、正式には囀(さえず)りというらしい。これもWebで調べて見ると

 さえずり:「ホーホケキョ」
      縄張り宣言や雌を呼ぶために、繁殖期の雄が発する鳴き声。
      「ホーホケキョ」の後に「ケキョケキョ」と激しく鳴くのは、縄張りへ
      侵入してきた鳥への警告を意味しているという。
 地鳴き :「チャッチャッ」
       さえずり以外の鳴き声。主に繁殖期以外での鳴き声を言う。

 私は手のひらにのる程の大きさのこの鳥が、谷に響き渡るようなその囀りの声の大き
さに驚く。カラスの鳴き方を観察してみると、口を精一杯大きく開け、反動をつけて体
ぜんたいを揺らしながら「カーカー」と鳴くのである。まさに全エネルギーを一点にぶ
つけるような力仕事に見える。そうしてみるとウグイスも我々が楽しんで鳴いているだ
ろうという想像とは大違いで、そこには生きるための必死の形相が見えてくる。
 さて、いつもの癖で人間の大きさだと一体どんな状態になるだろうかと試算してみた。
体高で換算すると、人間の1㍍60㎝÷16㎝=10倍、ウグイスの鳴き声の届く範囲を2㎞と
仮定すれば、2km×10倍=20㎞。まさか人間の声がそんなに遠くまで聞こえるとは思えな
い。
 しかし、高速で走る新幹線の鐵橋の下くらいの音の大きさ以上であろう。こんな試算
は意味をなさな い単なる遊びに過ぎないだろうが、それにしてもあの美しい囀(さえず)
りに違った様相が見えてくるのが面白い。






◆ 杉

 葉の先にある黄色い房状のものは、膨(ふく)らんだ杉の花芽である。あと一月もすれ
ば花粉症で悩むことになる。なにせ花粉生産のまっただ中で暮らしているから、その症
状は本郷にいる時よりも更に深刻だ。
 ところでその杉の葉に二種類の違いがあることを発見した。そしてあらゆる調査をし
たにも拘わらず、それについての記載はいまだ見つかってはいない。私のなかでその疑
問を抱いた切っ掛けは、薪ストーブに火をおこすために杉の葉を用いる時に気づいた。
葉が細やかで密集していて枝に沿って生えているから手に優しいものと、荒くてまばら
で外向きに尖(とが)っている葉をもち、軍手の上からでもチクチクと刺してきて、掴む
のに難儀するものの二つの種類である。しかしいくら調べてもその違いを扱っている書
き物は見当たらない。散歩の途中で木を調べて見ると確かに違う葉を持つ杉の木が半々
くらい存在する。
 なお判明出来ないことに諦(あきら)めきれずにしつこく調べているうちに、遂に「ス
ギの耐雪性品種に関する研究」の中に「スギの葉型と冠雪量について」という論文を見
つけた。それによると、葉の形状が「オモテスギ」と「ウラスギ」の二種類に分かれて
いているらしい。
 ウラスギは積雪に強い雪深い地方のスギで、短い葉が枝に沿って密集していて、積雪
の少ない形状の葉を持ち、棘(とげ)がささらなくて触っても手に優しい。
 オモテスギは積雪に比較的弱い太平洋側のスギで、積雪がしやすい形状の長い葉が、
枝の外側に向かって立つ針状の葉は尖(とが)っていて、掴むと鋭く刺さって痛い。
ということで杉の葉の違いの疑問が解けた。論文ではオモテスギとウラスギを交配して
耐雪性の杉の木を作り出すという試みを長い間研究しているらしい。
 ついでに匂いのいい杉の葉に纏(まつ)わる話がある。それは「杉の葉線香」で、それ
を製造している店の紹介文として「筑波山麓の渓流になつかしい音が響く。杉線香づく
りの老舗、「駒村清明堂」(茨城県石岡市小幡)の水車の音だ。
五代目の当主、駒村道廣さんがつくる杉線香は杉100%。水車で動く杵(きね)が原料の
杉の葉を搗(つ)くたびに、さわやかな緑の香りがよみがえる」とある。
そしてニューロン・カフェのリンクに貧乏絵描きさんの「街角スケッチ」のなかにその
工房の絵がある。






◆頤(おとがい)

 この前の大雪で、我が家のテラスの屋根には220㎝の積雪があった。その重みで勝手口
のドアが軋(きし)んで開かない。慌(あわ)てて二階の窓から屋根に登って雪下ろしをし
た。一月ばかり経っても山通りではMさんの家から先、中通りではTさんの家から先は
不通である。ここ標高千㍍の山荘では記録にない積雪で、はからずも高齢者孤立集落と
なって一週間、食料と薪が尽きそうである。
 さて、山の中での暮らしは退屈で仕方ないだろうと思われるかも知れない。ここに来
るまでは交通量の多さ、様々な機器類から発生する低騒音で常に耳の底に連続音が聞こ
えているようだし、ビルの林立で小さい空しか見えないし、人の多さによる混雑、様々
な気遣いが必要だ等々、私が大都会の真ん中で忙しい暮らしをしていたことを知ってい
た人には、そう思われるかも知れない。しかしこの山の中に住んでよく観察してみると、
様々な不思議がいっぱいそこら中に転がっている。
 先日我が家の猫「モロ」をしげしげと眺めていたら、なんと猫には頤(おとがい)がな
いことに気づいた。人間で言えば口の下に突き出た部分のことである。アントニオ猪木
ほどの尖ったものではなくても、一応顎(あご)と呼ばれるものがあるのだが、猫にはそ
れがない。そこで色々の動物を調べた結果、人間のように物を口へ運んで食べる種類以
外は、総じて頤(おとがい)がないようだ。それはたぶん食べ物に直接口で食いつくには
頤(おとがい)が邪魔になるのだろうと結論づけた。
 かくのごとく、興味を持てば今まで身近すぎて気がつかなかった事象が見えてくる。
何故だろうと考えたり、調べ回ったりしていると、都会でヤボ用や義理やマスコミ等の
くだらない情報で振り回される時間を思うと、山荘暮らしは一向に退屈しない。人から
動かされるのではなく、すべて自分が自由に使える時間ばかりであるのが一番いい。


280

 

斜光パイロット版 編集後記

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 8月25日(月)16時11分24秒
返信・引用 編集済
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          斜光パイロット版 編集後記 




 卒業三十周年記念大会からしばらくたって、記念誌は結構面白かったじゃなか、我々も
同人誌ををつくってみるかと数人で話し合っていた。ただこの適中はかけ声ばかりで行動
力には些か疑問がありそのうち立ち消えになった。何をどこで聞きおよんだか。近藤君が
果敢に行助力を発揮し今回までにこぎ着けた次第である。

 じつは三十数年前の学生時代、一度同人誌を出したことがある。その時のメンバーは田
辺悟朗(森)、森浩、徳重雅啓君と私だったとおもう。ちなみに、同人誌の名前は「傾斜」
ペンネームは田辺君がはたな はてし「旗名涯」 私がじん ふうたろう「塵 風太郎」
で、学校のどこかのクラブ室でガリ版を借りて作成した記憶がある。それは見事に短命で、
酒、パチンコ、麻雀等に忙殺きれる生活でニ回の発行で消え去った。はたして「斜行」の
行ぐ末はいかに?   (塵 風太郎)

斜光0号 1995

216

 

徳さんの夢

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月18日(火)11時19分59秒
返信・引用 編集済
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              徳さんの夢 





 つい二ヶ月程前、「斜光」の編集会議で徳重雅啓君の消息が話題になったばかりで、彼
が入院しているらしいという報告があった。以前も何処かを手術するといって病院のやっ
かいになっていた事を知っていたので、我々はさほどシリアスな状態ではないと考えて居
た。今回の創刊号には是非寄稿して貰いたいと期待していた矢先の突然の訃報であった。
 彼との付き合いは、私が鹿島から佐賀へ転校してきた小学校六年の時からである。私の
家から五十メートルも離れていない立派な屋敷に住んでいて、町内の子供会の旅行にいた
るまでいつも側に居るという腐れ縁のはじまりだった。その頃私に反し彼はがっしりした
体格で、かれも福岡の方から転校してきたらしく我々には妙に聞こえる博多弁で理屈をい
う生意気そうな風貌であった。風呂敷を纏いチャンバラごっこをして遊ぶ時、その頃流行
していた三銃士のダルタニヤンの役を誰がやるかでいつももめていた。
 また、彼の家には当時まだ珍しかったハイファイセットがあって、時々彼の父親の目を
盗んではクラッシックの音楽を聴かして貰っていた。私はその頃ハイフェッツ演奏でメン
デルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調のSP盤一枚しか持っていなかったが、彼の家
には既に、SPより繊細でいかにも音のよさそうな色とりどりのジャケットのLPが壁に
沢山飾られていた。
 五年程前私は希望の進路を記録した高校の資料を覗いた時、彼はW大の文学部を目指す
と書いているのを見つけた。確かに彼はその当時太宰治に気触(かぶ)れていて、休日の
日などは久留米がすりの着流しで、「かすとり雑誌」に関係しているような退廃的でシニ
カルな雰囲気を醸しだしていた。そしてまた、不思議に男友達にはつれなく女性には妙に
親切で、まだ子供っぽかった私達に男女の隠微な世界の存在を教えてくれたような気がし
た。私は彼がW大や本郷界隈の戦禍を免れて今もたまに見かける、「芳兵衛物語」に出て
くるような木造二階建ての借家を舞台に登場する文学青年を夢みていたような気がしてな
らない。私は今まで彼の夢をはっきりと聞いたことはないが、彼は、はたしてそれが叶え
られただろうか?たとえ現実はそうでなかったとしても私はそう信じたい。
 ついに、梁山泊のメンバーから五十四才の若さの一人の魅力ある人物が去って行った。
願わくばあの世で我々のために梁山泊の準備を怠らないように程ほどの酒量に注意し、私
達に妙に聞こえた博多弁、いや今は大阪に就職して以来の妙な大阪弁で天国の人々を煙に
まいて私達が行くまで愉快に過ごして待っていて欲しいと願う。

56

 

都市と田舎の狭間で

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月 2日(日)00時02分46秒
返信・引用
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          都市と田舎の狭間で 




お断り・・・ここに登場する時代、場所、団体、人物等の構成する環境は架空のもので、
現実のものとして特定できるものでなく、また普遍的価値を含むものでもない。


プロローグ

 三十年間暮らした首都圏を離れ、郷里の親元で暮らすこととなった。それはドフトエフ
スキーの「スチェパンチコブォ村とその住人」にでてくるフォーマー・フォミッチを巡る
人々のごとく、価値観の微妙なずれによるさまざまなトラブルを発生させた。私はそこ
で都会生活では考えたこともない悩ましい環境に陥ってしまった。



パンドラの箱そのⅠ

 大都会を離れたことを都落ちと考えるか、自ら都心の窮屈な生活から脱出したのだと考
えるかは個人の感じ方次第であろう。とは言え、若い頃は知的で洒落た都市の生活に憧れ
て田舎から出て来た訳だから、どの時点ではっきりと「田舎に帰っても良いかな」という
心の変化を覚えたかは定かでない。兎に角バブル崩壊が大きな要因に間違いなさそうであ
る。
 その不況の結果とんでもない会社に就職してしまい、その労務のはちゃめちゃぶりに辟
易し、また新宿西口の朝の殺気だった出勤風景に嫌気がさしたのが決定的であった。オー
ナーと呼ばれるヤクザまがいの風貌と前近代的な思考の輩に支配されることは長年自由業
で過ごした私には耐えがたいものであった。しかし、私が「今の勤めは地獄のようなもの
だ」と嘆いても、友人達は「地獄の苦しみはそんなもんじゃない。その程度の環境はサラ
リーマンなら殆どの人が経験するもので、あんたは甘い。地獄とはもっと過酷でずっと先
にあるものだ」といって、一向に同情してくれなかった。
 それにしても朝八時半から夜十一時までの拘束時間、休日も日曜だけなのに突然の召集
命令でどこにいようとも駆けつけなければならず、まさにやくざの世界であった。私的時
間まで拘束されるより飢えても自由が欲しいと思っていた丁度その時、脱税で一年十ヶ月
程の実刑を受けまもなく収監されるオーナーとの幹部会でのやりとりで、「歳ばかりとっ
ていて何もできないなら辞めてしまえ」という売り言葉に「じゃあ辞めましょう」の買い
言葉の結果、その日のうちに三ヶ月間勤めた会社を辞めてしまった。社員を殴る蹴るの暴
力が日常茶飯事の彼のその言葉は口癖だったし、いままでそれで辞めた社員はいなかった
ので、まさか私がそのような行動に出るとは夢にも思わなかったにちがいない。それでも
二百人近い社員を擁し、人権無視の労働で膨大な利益を確保した結果、近い将来上場を目
指す会社なのである。その会社の常識であれば、残務整理や、引継ぎに数ヶ月は引き止め
られることは確実であるが、あまりにも酷い組織の正体が判明するにつれて、そうでなく
とも切れかかっていた私の側にとってきっぱり辞める口実を作ってもらったという有難い
チャンスに他ならなかった。途中で仕事を投げ出すのはいかがなものかという幹部の説得
とも叱責ともつかない話し合いはあったが、「辞めさせたのはそちらで、私は明日から路
頭に迷う覚悟でそういう行動をとったのだからその責は拒否できる」と主張した。

                 *

 もうひとつ私に決断させたことは朝夕の出勤退社時のあの風景である。それまで私は幸
いなことにそのような殺人的混雑の出勤とは縁がなかった。どの首都圏の主な駅も同じ光
景ではあるが、特に新宿西口の地下通路の殺伐とした雰囲気は、慣れない人にとっては異
様で寒気を生じるほど殺気だっていた。例えば、うら若き女性といえども例外なく、目的
地に向かってあらゆる方向に一直線に通り抜ける人のその速さと強引さは、少しでも心に
余裕をと考える人、やさしく道を譲る生き方をしている人には耐えがたい情景である。最
早気合の勝負で、少しでも怯んだほうが負けで道を譲るはめになるのだ。
 その空間のすべての人々が自分の目的のために周りの人のことも切り捨てて行動できる
に到った経緯はなんであろうか。そして子供や老人のいないその時空間の異常さは、それ
が都会の現実とはいえ、そのような環境にたいする慣れや割り切り方を私はとてもできな
いと思った。その決断の結果、遂に次の日からまた私は浪々の身となってしまったのであ
る。そしてその時私は田舎の八十四歳になる一人暮らしの母と同居することを決断したの
だった。

                 *

 私はそれまで都市生活者として、大都市の便利な交通システムを満喫し、全国のあらゆ
る食品や品物を選択し、自分にあった職業に従事し、最先端の学問や文化を享受出来るこ
とに満足していた。たとえ午前様になっても公共の乗り物で安全に家にたどり着くことが
できることに快適さを覚え、不思議なことに生産地よりも安く新鮮な一級の食材を求めら
れ、会社勤めをしないフリーターとよばれる若者達も食べるには困らない社会、世界の一
流の芸術に毎日接することのできる生活環境があった。しかし最近私の意識のなかに影の
ように潜むものに気づいた。それは髪は白く、足は遅く、肩は痛く、物忘れに閉口する自
分を叱咤してこの都会生活を楽しむというメリットに疑問を抱くようになっていた。それ
まではたしかに些細なこととして敢えて無視してきたか、あるいは気づかなかった大都会
のデメリットにたいする意識が密かに私の頭の隅に巣を作り始めていた。人口集中による
交通の渋滞、空気、水の汚染、騒音、土地の高騰、危険物の集積、大地震の予感、人々の
心の荒廃などである。私は二度と郷里には戻らないと親に息巻いていた自分の考えを翻し、
希望をもって田舎暮らしをしてみようという心境が、例えやくざのような会社からの離脱
という契機があったとしても、知らないうちに出来上がっていたのだった。

                 *

パンドラの箱そのⅡ

 そこは肥前風土記逸文にも記してあり、また和泉式部の生誕地といわれるある山の麓の
町、行政上では町ではあるがむしろ昔風に村落という方が理にかなっている。山と川に挟
まれ、堤防や道路の拡張で平地の水田はほとんどなくなってしまってはいるが、何十年も
前から変わらない家々が散らばって建つ、いわゆる里山とよばれる風景である。
 同居する母の土地は山が四町、裏山の段々畑が千坪ほどである。その山のほとんどを生
産性のない雑木が占めるなか一部梅の木が二十本ばかりある。一方畑地は四十坪の家に隣
接して梅およびみかんが数十本、柿、すももその他の野菜が育てられている。私がその箱
を開けてしまったのはこのような環境のもとでである。
私はまず、都会の三LDKのマンションに収まっていた家財道具をこの家に押し込めなけ
ればならないという困難にぶつかってしまった。八帖と六帖の二間続きの座敷と二十帖の
LDK、六帖の母の寝室、そして六帖の私達の寝室と十六帖の土間。広い家とはいえ、そ
れらの品物を納める場所はそう多くは無いということが判った。私は親兄弟に指示される
まま、それらの家財道具の全部を一時別の家すなわち甥の広い家に預けることにした。
 そして徐々に母の家を整理しながら運び込む目論見であったが、田舎の家の押入れや、
納屋に詰まっている品物がいかに不合理な代物であるかということが段々分かってきた。
まずお中元、お歳暮、冠婚葬祭の引き出物の氾濫に驚くとともに、いかに日本の社会経済
が虚礼の集積で成り立っていることかと思った。本人が夢みる、自分の好みに合ったもの
に囲まれた趣味の生活が、溢れ返っている贈答品や引き出物でどのくらい損なわれている
か一度考え直して見る必要がある。私はだから人からものを貰うことが厭だし、また好み
のわからないまま人にものを贈ることも憚るのである。
 そのような中、二ヶ月かけてやっとそれらの数十年に積もり積もった不要なものを焼却
したりゴミとして処分した後出来た空間に家財道具をなんとか持ち込んだ。 しかしこの
「もの」を処分するという行為は物の無い時代を生き抜き、人様から頂いた物を無下には
出来ないという母の生き方や好みに大いに反することであったとみえて、整理のための廃
棄の決断を促すときにはいつも「捨てろ」「捨てない」の鬩(せめ)ぎあいを繰り返すの
であった。

                 *

 都会に住む人達が想像もつかないことが田舎にはある。着いたその日、白い子猫が庭先
にこちらを向いて座っていた。一点の斑毛もなく全身真っ白でいかにも優雅で愛らしかっ
た。しかし初めて見る人間に逃げようと後ろを向いたその瞬間、私はなんと形容してよい
か戸惑う姿を見てしまった。それは「因幡の白兎」よろしく腰から下の皮膚がべろりと剥
げているのだ。母にその経緯を聞くと、生死の瀬戸際だったので犬猫病院に二月ほど入院
させて戻ってきたばかりだという。犬でも猫でも噛み付いてもそこまではダメージを与え
ないのにと考えていると、獣医さんがいうには「たぶん狐か狸のような野生の動物に噛ま
れたのでしょう」との説明であったとか。
 新月の真夜中は墨を流したような闇夜で、寝室の裏山に面した窓から得体の知れない鳥
なのか動物なのかはたまたこの世のものでないものか、陰陰とした鳴き声が聞こえてくる。
今は簡易水洗便所でほっとするが、小さいころは床の穴の下は奈落に通じているかもしれ
ないほど暗く、散々お化けの話を聞かされた夜の便所へ行く恐怖は計り知れないものだっ
た。幸い今は改良されて奈落と魑魅魍魎の恐ろしさから開放されているが、猫の一件はま
さにこれからの私の田舎ライフを暗示するにふさわしい出来事であった。

                 *

 梅ちぎりの作業をしていると毛虫や蜂や蚊に刺され、免疫のない私にはつらい環境であ
る。引越してきたばかりのある夜中、寝ている私の髪の上でもそもそとしたものがいた。
思わず手で払いそうになったのを制止したのは、夢心地のわが脳の正しき判断であった。
飛び起きて明かりを点けて枕を見ると二十㌢もある巨大なムカデで、その体の黒さはいか
にも毒の強さを表すものであった。噛まれたら手が二倍に腫れたという人を知っている。
この時首筋を這って行ったのだから、頚動脈でも食らわれたらこの物語も書けず、今ごろ
はベッドの上で生死の狭間でさ迷っていたにちがいない。
 また、昼間入り込んだ親指大の蜂に気づかず、夕方の暗がりのなか広縁のカーテンを勢
いよく閉めたその瞬間右手中指の第一関節の甲にナイフでスパリと斬られた感触を覚える
ほど痛い蜂の一刺しを食らった。幸いそんなに腫れるほどでもなかったが、一晩中その痛
さに悩まされたのである。ムカデといい蜂といい油断できない現実の自然を都会生活で誰
が予想したか。優雅な田舎の暮らしなどという軟弱な雑誌の特集をみていると、あれは田
舎に持ち込まれた都会の暮らしで、冗談もほどほどにしろ生死の瀬戸際の格闘があること
を知るべきだと反駁したくなるのである。編集者に蝿、蜘蛛、蜂、蚋、毛虫、ムカデ、マ
ムシのいる中での生活を一度体験させてみたい。それでもなお「田舎暮らし」は素晴らし
いと絶賛すれば本物である。
                 *

 私はちょうどその時、そうとは知らないまま運悪く一年中で一番忙しい時期に引っ越し
てきたのであった。梅の採取の作業である。それで生計を立てている訳ではないが、亡く
なった父が趣味として丹精したもので、毎年お世話になった人に差し上げたり、一部青果
市場に出荷したりして楽しみに育てたものである。数十本ある中から出来具合を判定しそ
の日のうちに採取するわけだが、種類も多くちぎるに適した日もまちまちで、しかも成熟
した果実は一日として延ばせないのでやたらに忙しい。成熟してくると産毛のある細長い
形から艶のある丸い実に変化する。それらを午前中に採取し、午後に選別して次の日の朝
早く市場に出すという一工程の作業がある。ジャンボ高田とか青軸とか白加賀とか南高梅、
小田原梅などいままで私の想像だにしなかった世界である。競走馬などその道でない人に
はなんだか変に聞こえる名前のように、最初は私にはどれがどれなのかさっぱりわからな
かった。加賀とか南高、小田原などの品種を聞くと生産地の名前なのかと思うが、これか
ら私も毎年従事することから逃れられないとすれば、その謂れぐらい知る必要を迫られる
に違いない。
 しかし、そのような収穫物を百㌔や二百㌔市場に出してもたいした収入にはならない。
これで生活費を賄うとすれば、今までの都市生活からは想像も出来ないくらいの労力を必
要とし、知識も体力も忍耐も足りない軟弱な私ではとても持ちこたえることは不可能だと
悟った。実際毎日そのような作業を続けている八十四歳の母のほうが私より持久力におい
ては優れているのである。男一人のここでは、母にそのような農作業にこき使われ、疲れ
でダウン寸前までいったことがある。なにせ毎日の重労働で筋肉痛が治るひまもないのだ。
本当の親子かどうか一度DNA鑑定をしてもらうべきではなかろうか、しかしもし親子で
なかったと判明したらこの三倍は酷使されるかもしれないリスクを覚悟しなければならな
いと思ったりした。

                 *

 この時期はお金よりもむしろ梅の実が労働の代価となる。円という貨幣の呼称よりむし
ろ一㌔梅という単位の通貨が似つかわしく、お手伝いに来る近所の人にはその日の労働の
お礼として市場に出荷しないものの中から何キロという梅を持って帰ってもらう習慣なの
である。そして、私は一㌔の梅が行商のオバアサンの魚の干物と交換されたり、進呈した
何がしかのそれが苺やケーキや田舎饅頭に化けたりする物々交換の時代が未だに存在して
いるのを見たのである。この時期は実の出来具合や自分の漬けた梅干しの自慢の話題で沸
き返っていて、この集落は興奮状態であり、いままでその喜びを知らない私達はただその
迫力に見入るばかりである。

                 *

 村舅という言葉をご存知であろうか。これは辞書には載っていない言葉ではあるが、字
面らや意味がぴったりの誰からともなく聞かされる造語である。私は都会では既に失われ
た人情や環境が、田舎ではまだ充分に残っていると期待していた。静かで、空気は清く、
素朴ないい人に囲まれて平和で、命が延びる生活ができると思い喜んでいたのだが、いざ
そこで暮らしてみるとそう単純ではないことを思い知らされた。確かに田舎の家は玄関の
みならず、広縁や勝手口や土間からの出入りは自由であるが、どの部屋であろうと近所の
おばさんの侵入攻撃を受けるのである。おまけに食べ物の味付けに口を出すし、プライバ
シーのなさと、声の大きさと、まだ残る因習に悩まされている。そこでの生活習慣をまっ
たく知らない私達が犯した村のルールを即座に指摘するのが村舅である。彼らにとっては
無知な私達を好意で修正してやるという思いがあろう。しかし私達にとってそれはたいし
た支障でもないと考えている者なので、私達は「余計なことを」と、片方は「礼儀知らず、
世間知らず」という思いの違いが生じてくるわけである。
 財産をめぐる長子制度による兄弟の確執や、日々の行動を規制する迷信、しきたりとい
った都会生活で忘れ去られていたものが、真夜中の裏山の藪の中だけでなく現実の日々暮
らしの中に出没する魑魅魍魎の世界に私はついに足を踏み入れてしまった。田舎の人は素
朴で、人が良くて、大人しくシャイであると相場は決まっているはずなのに、声高に早口
で喋り、ちらりと皮肉を言い放って去り行き、したたかで繊細さに欠ける人達がいる。そ
れも人に危害を加えたり、良心に付込んで財産を奪ったりするような悪ではなく、好意的
に考えて「裏返せば親しさの現れかもしれない」と思わぬでもないが、私達が大事に守っ
てきたテリトリーの中に平気で踏み込まれるという不快さがあるのである。
 また、鶏の飼料の生臭い匂い、何かの食べ物の腐った匂い、家に染み付いた説明のつか
ない不快な匂いの数々。一日中うんうん唸っている冷蔵庫の音、数匹飼われている近所の
犬によるリズムも音程もめちゃくちゃな暁の大合唱、地鳴りのような耳の底に残る虫の鳴
き声。ヘビ、アブ、蚊、蚋、蜂、ハエ、毛虫、ムカデ、ヤスデ、なめくじ、くも、道路の
向こうの偏狭で強欲で粗野な鼻つまみ老人、白の餌をぬすみに来るふてぶてしい黒斑のオ
スの野良猫、そしてこのすべてを焼きつくような高温多湿の今日このごろ、そして一番の
問題は「金も力もなかりけり」の甲斐性なしの己の存在である。


エピローグ

 あまりにも清潔に、あまりにも繊細に、あまりにも個人主義的な都市の暮らしが、この
田舎の荒削りのしぶとい生き方に翻弄されてその脆弱性を露呈したことを認めずにはいら
れない。しかし私は自ら望んでここを選んだのだからそれらの攻撃にいかに対処するか、
排除するのかあるいは受け入れるのか、感覚を鈍化させて慣れてしまうのか、この田舎ラ
イフを続けていくためはケリをつけなければならない大問題の狭間で私は苦悩しているの
である。

5号 2000.7.15

15

 

高柳増男君の死を悼む

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月 1日(土)09時10分12秒
返信・引用
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          高柳増男君の死を悼む 




 一昨年「喉の癌」を患って以来入退院を繰り返していた高柳君が今年五月初旬に亡くな
った。私も週に数回ほど見舞いに行ったが、彼は声が出なくなってからは私達が冗談やら、
茶化しやらを勝手にぶつけるのを大人しく、フンフンと聞くばかりになっていた。しかし
息を引取る数日前までは意識も目の輝きもいつもと変らず、本当にシリアスな状態なのか
と疑いたい程精神的には安定した状態で、彼は病気を治して仕事に戻ることを本気で考え
ていた。それでも苦痛などを私達に一度も訴えることがなかったけれど、肉体的にはダメ
ージが蓄積していたのだろう、私達にとっては突然といいたいほどの容態の急変があり、
長時間苦しむことも無く、あっという間にあの世に行ってしまった。

 思えば彼との出会いは四十五年前、高校一年生から始まった。真冬、彼の家の納屋の二
階の部屋に泊めさせられて寒さに凍えたり、朝には家の前を流れる川で顔を洗ったりした
ことが数度あった。そして時々は私の家に一週間ほど居着き、そこから高校へ通いもして
いた。だから、彼の身体的障害などはすっかり忘れさり、友情などといった美辞麗句に収
まらない付き合いで、時には思わずそのことをからかったりして彼の自尊心を傷つけるこ
とも度々あったと今私は反省している。

 彼の両手の指と足の指をなくした経緯を本人から聞いたのはいつだったか思い出せな
い。それはまだ戦時中のこと、縁側に寝せられている赤ん坊の彼の足先で敵機の落とした
焼夷弾が炸裂し彼の足指を吹っ飛ばしていった。そしてまたまた不幸なことに、数年後成
長した彼は家の畑のなかから不発の焼夷弾を見つけ、遊んでいるうちに暴発してこんどは
手の指を粉みじんに打ち砕いたという。

 振り返ってみるとアメリカ軍の本土空爆は終戦間際のものだと思っていたが、 すでに
昭和17年4月19日に中京・阪神地区に大規模な焼夷弾による空爆が始まっていた。そ
して終戦間際の昭和二十年になると制空権を奪われた日本全土の地方都市もその例に漏れ
ずいたるところで焼夷弾の雨が降っていた。

 佐賀県への空爆は昭和20年4月18日鳥栖が最初で、それから終戦まで10回続いた。
 第1回  4月18日 午前10:00~ 鳥栖
 第2回  7月16日 白昼
 第3回  7月21日

 第4回  7月28日 白昼
 第5回  8月1日 午後1:00~
 第6回  8月5日 午後11:30~6日午前1:00  東川副、諸富、川副、久保田
 第7回  8月9日
 第8回  8月11日 午前中    鳥栖
 第9回  8月12日
 第10回 8月14日
 昭和20年8月5日第6回の最大規模の空爆被害状況は
   死者 38名   被災者  2000人  被災住戸  500戸
   被災地 東川副 諸富 川副 久保田 等    (佐賀県警察史の資料による)

  また、焼夷弾の構造および着弾におけるその作動状況は次の通りである。
E46収束焼夷弾は、B29より投下され数秒経つと鉄バンドが解かれ、M69焼夷弾が
空中にばらまかれる。すると麻布製のリボン(約1メートル)が飛び出しM69が正確に
落下するよう揺れを防止する。
 屋根を突き破ったり着地すると5秒以内にまずTNT爆薬が炸裂、その中のマグネシュ
ームによりナパームに着火する。その燃焼する力で鋼鉄製の筒を吹っ飛ばし30メートル
四方に燃焼したナパームをまき散らす。

上記の資料によるり高柳増男氏が被災した状況を考察すると
  1. 高柳氏の被災したと思われるものは昼間の空爆で4月18日鳥栖、8月5日の深夜、
   8月11日鳥栖を除いた日のどれかと思われる。
 2. 彼の年齢と事件の起きた状況が違うという指摘がなされたが、「おくるみにくるま
   った」という友人の記憶による思いこみをしたことによるもので、乳児ではなくじ
   つは三歳になる前の高柳氏が縁側で寝せられていたものと推察される。
 3. 高柳氏がどうしてナパームの火による被災でなく外傷を受けたかは、ナパームに着
   火せず単に鋼鉄製の筒を吹っ飛ばしただけの不発弾だったと考えることもできる。
 4. この件に関して(焼夷弾による被災)はT氏およびK氏も聞いたと証言している。

 だが、ここで新たな証言をI氏よりもたらされたことが問題となる。被災説を信ずる私
たちには想像すらできなかったもので、それは出生にまつわる物語であったとI氏は言う。
  このことは「被災説」と「出生説」の両方とも彼が自らが告白したということが事実
であるとすれば、どちらかが真実でどちらかが虚偽であるか、或るいは両方とも彼の創作
によるものとも考えられる可能性が生じてくる。いま思い起こすとそのように彼は謎の多
い男であり、真実はなんであるか語らずに逝ってしまい、真相は闇の中である。

 しかし、兎も角彼はその障害にたいして心無い言葉や世間の目に臆することなく果敢に
立ち向かい、私達仲間のうちで一番の音痴だった彼が音楽業界で活躍したのは以外であり、
あまりに身近な付き合いだった故、彼の素晴らしい業績に鈍感だったことを葬儀の時に私
は感じたのだった。
 棺に納めた彼の思い出の品の中に45年前のハイキング仲間の写真があった。私の家を根
城にして屯(たむろ)していた「梁山泊」の仲間からまた一人旅立ってしまった。その写
真のメンバーのうち既に三人が欠けている。次に逝くのは俺だともう既に手を挙げている
御仁もいて補充も期待できるようだから、そのときまで「願わくばあの世で先に逝った徳
重雅啓君と石田信彦君とメンバー不足ではあるが、三人で君の好きな麻雀でも興じていて
くれ」と祈っている。


8号 2003年7月14日

15

 

光と影の狭間で

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 2月28日(金)20時01分10秒
返信・引用 編集済
  .

              光と翳の狭間で 




 最近、谷崎潤一郎著の「陰翳礼賛」についてよく耳にしたり、記事に接するようになっ
た。これはどういう現象であろうか。かつて私何が建築学科学生だった頃、専門書以外の
分野の中からその記述を見つけて、思わず日本建築の持つ特性を的確に言い表していると
感心したものである。
 昭和八年に書かれた著書の中に、純日本風の家屋とガスストーブや電灯や扇風機などの
科学文明の恩沢とがしっくりと調和することがない。
 また、建具等趣味から云えばガラスを嵌(は)めたくないけれど、そうかと云って、徹
底的に紙ばかりを使うとすれば、採光や戸締まりの点で差し支えが起きる。よんどころな
く内側を紙貼りにして、外側をガラス張りにする。そうするためには表と裏と桟(さん)
を二重にする必要がある。さてそんなにまでしてみても、外から見ればただのガラス戸で
あり、内から見れば紙のうしろにガラスがあるので、やはり本当の紙障子のようなふっく
らとした柔らかみがなく、イヤ味なものになりがちである…。と既に六十年も前に、古来
の住まいと日進月歩する新しい建材や調度品と調和をさせることの難しさを嘆いているの
である。
 また、西洋と違って、我々の国の建築は庇(ひさし)が作り出す深い広い蔭の中へ全体
の構造を取り込んでしまっている。宮殿でも庶民の住宅でも、外から見て最も目立つもの
は、その庇の下にただよう濃い闇である。日本家屋の屋根の庇が長いのは気候風土や、建
築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう…。と云っている。

 現代ではずいぶん数少なくなった数寄屋作りの家も、戦前の頃までは庇の深い和風の家
が多く、障子越しの柔らかい光を室内に採り入れた住まいであった。
 その外と内を結ぶ、外でもない内でもないあいまいな翳の空間が、戦後アメリカの文化
の影響と新しい建材や工法の出現で、なくなりつつあるのが残念である。
 和室が洋間にとって変わられて障子がガラスの窓になり、あくまでも明るく、あくまで
も快適にと目指すことで、外と内の中間の薄暗い空間が作り出す柔らかい光と翳の微妙な
趣をなくしてしまった。
 また、伝統的な家屋は古来その土地の材料を使い、その土地の気候に合った工法を編み
出し、時代を経ながら作りあげられたものであった。ところが、文明の発達で自然の過酷
な条件さえも技術の力で克復出来るようにになり、ラスベガスのように人も住めない砂漠
の中に電気や水を施し灼熱の乾燥した自然を、冷暖房による快適な空間と交通による便利
さを整えたことにより、近代的な享楽の都市を造ってしまった。
 近代建築はまた限りなく明るさと機能と効率を追求し、高層のビルは軽量化による材料
の省力化、工期短縮を求め、あくまでも透明で明るく軽快に、科学の最先端を表現するた
めガラスや鉄やアルミの素材をふんだんに使用した。
 その反面あまりの科学信奉による危うさが心配されるのである。オフィスビルばかりで
なく豪華な住宅においてもその傾向があらわれ、ある富豪の住居においては、大きな居間
の南面を開閉できないガラスのはめ殺し窓とし、明るさを最大限に採り入れる設計であっ
た。しかし、真夏の昼下がり、凍てつく冬の夜、電気や機械の故障で冷暖房がストップし
た場合はまさに焦熱地獄や極寒の地と化し、余所へ逃げ出さねばならぬであろう。
 そのような思想のもとに自然を征服し屈服させて成り立っている物のいくつかは、エネ
ルギー資源の枯渇やランニングコストの高騰で稼働できず、無用の長物に陥る運命が待っ
ているかも知れず、再びその風土にあった工法と材料による住まいが息を吹き返すかもし
れない。

 光と翳における微妙な関係の中で、女性が美しく、奥ゆかしく、いわくありげで魅力的
に見える場の条件として、「夜目、遠目、傘の内」と昔から俗にいわれている。「夜目」
とは夜の幽かな光をとおしてみえる姿で、周りの闇のなかに浮かぶ女性の見えない部分を、
観察者の頭の中の美人の理想像で補って見るからであろうし、またそうであれかしと無意
識のうちに望んでいるからであろう。「遠目」や「傘の内」もまた然り、ぼんやりとした
姿、隠れた部分を想像させる間(ま)、全体の見えないもどかしさなどの相乗効果の結果
であろう。
 物事があまりにも見え過ぎてもいけないし、見えな過ぎてもいけない。即ち些細な欠点
や必要ないものまで見えることは、その本質にとって大した失点でなくても価値を損ない
興を殺ぐということではあるまいか。
 老人になったら耳が遠くなったり、目が近くなったりすることは自然の理で、そのこと
は大きな観点からすれば、余計な物を見たり聞いたりすることを意識的或いは無意識に避
けることで、世間の煩わしさから逃れる術を会得しているのではなかろうか。またそれは、
心の平安を保つ極意なのかもしれない。

 「陰翳礼賛」の著者は翳の文化は日本独特のものであると云っているようだが、必ずし
も日本人だけがその微妙な感覚をもっているとはいえないのではないだろうか。
 ノートルダム寺院の中は、はるか上部の小さな薔薇窓による幽かな光だけで、ほとんど
顔も見えないほど暗いのである。これは東大寺の大仏殿やその他の大伽藍と同じく、救い
を求める人々の精神的な環境と空間を創り出していて、洋の東西に関係なく、形や表現は
違えど「光と翳」の文化は存在すると思われる。
 アメリカ文化の代表的なものとして、ファースト・フードやコンビニエンス・ストアの派
手な看板と無機質で明るい店舗を思いうかべるが、必ずしもそれだけでもないと云える。
 郊外の住宅地では、家の中心を占める六畳ほどと思える広い玄関ポーチで、ほとんど物
も見えないくらいの夕闇が迫っている中で、電灯も点けずじっと椅子に腰掛けて時を過ご
す老人をよく見かけたものである。
 また高級レストランにおいても、テーブルの蝋燭だけの微光のなかで、手探りで食事を
する、それこそ「夜目」、「遠目」、「傘の内」の効果を充分に心得た演出を楽しむ人た
ちがいることは確かである。
 またTVのニュースのスタジオに目を移すと、照明過度の、バックもガラクタと思える
ほど小間物や花をいっぱいのうすっぺらなセットの中で、これまた陰影なしのキャスター
の姿を曝す日本のTVと、それに対する、バックを単純で暗く押さえた控えめなセットと
落ち着いた光と翳のバランスのよいアメリカのニュースショーとの対比は興味深いもので
ある。
 天井燈のみで部屋に陰翳をつくらない日本の住まいと、点灯するのにいちいちそこまで
いかねばならないという不便さはあるが、フロアースタンドやテーブルランプで光と翳の
バランスを考えた西洋の部屋もまた然りである。これらの事実を比べてみると、現代では
日本の住まいがもっていた陰翳がむしろ西洋の生活の中にあり、我々の国ではもはや疎か
にされているのではなかろうかという思いに至るのである。

 光と翳は一体のもので、光のあるところ影が在り、物の距離や大きさや深さや形状を認
識するにも光の部分と影の部分がなければそれも不可能である。この世は光だけでも、ま
た闇ばかりでも成り立たない。
 「物の一番明るい隣が最も暗い場所である」と昔美術のデッサンの時間に教わった記憶
があるが、人の心もまたそのようなものであろう。幸せを感じているかと思えば次の瞬間、
不安に怯えている。光と翳であやなす心の襞をうきだたせ、見えない襞の奥に人生の苦し
みや悲しみ喜びの記憶が潜んでいる。全てが見えなくていい、人には見えぬぼんやりとし
た翳りの部分があったほうがいい。
 情報の洪水に溺れそうな今、私は光と翳の狭間で「陰翳礼賛」の心が再び戻ってくる日
を予感する。

   


3号 1998年

15

 

AとBの狭間で

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 2月28日(金)05時32分24秒
返信・引用
  .

             AとBの狭間で 




 私はこの歳になるまで数々の迷い道に入り込み、戸惑い、やむなく決断し、今に繋がる
判断をして来た。それが果たして正しかったかどうかは判らない。その道と別の道を同時
に体験出来るわけでもないので他の道の方がより正しかったかどうかも判らない。元来私
は先のことを緻密に計画を立て、着実に目的に向かって努力するという生き方でなく、む
しろ自分の好みに合った方を直感的に選んで来たようでもある。そしてある部分において
は別の道の方がいい結果になったことを認めるざるをえないこともあった。
 そのような時々の分岐点に立ちつくしAとBの狭間で揺れ動き想い迷う姿をパイロット
版から第6号までシリーズとして書いてきた。それはすべて私の彷徨う人生の分かれ道の
座標点そのものであった。

    パイロット版(創刊0号)―「趣味と道楽の狭間で」
  創刊号――――――――――「晴(は)れと褻(け)の狭間で」
  第2号――――――――――「夢(ゆめ)と現(うつつ)の狭間で」
  第3号――――――――――「光(ひかり)と翳(かげ)の狭間で」
  第4号――――――――――「本音(ほんね)と建前(たてまえ)の狭間で」
  第5号――――――――――「都市と田舎の狭間で」
  第6号――――――――――「続【都市と田舎の狭間で】」

                *

 思うに、AとBの道の分かれ道に立ちつくし、行く先のことを思いめぐらし、Aを進む
とどのような展開をするのか、あるいはBの方向が正しいかも知れないと疑い迷うのには
一定の条件がある。その分岐点に立った時、歴然とAよりBの方が価値があり、その置か
れた状況に合目的であると判断できる時は選ぶ方向を迷うことはない。難しいのはむしろ
その想定が等価の場合悩みも多く、決断も鈍く逡巡するのである。それが優劣付けがたく、
どちらも捨て去るには忍びないと思えるときほどAかBかを迷うのだ。捨てた方がどうも
正しかったり、魅力があったり、将来性が豊かなように感じられて後日臍を噛むのである。
そこには義理、人情、正義、虚栄、妬み、猜疑といった複雑な人間関係も絡んで来る。ど
うかしてでも両方を得られないかと算段するのだが、現実はAかBを選ぶか両方とも諦め
るかの三者択一の道しかないことが多いのである。


                  *

 小さい田舎町、蒸気機関車の力強い息吹の身近に聞こえる国鉄の駅前に住んでいた頃、
私の家の隣に専売公社の営業所とその官舎があった。たいした企業もなく農業と零細の商
業で成り立つ町で暮らす私のような土着の者からすると、何年か一度、知らない街から転
勤してくるその公社の家族はまぶしいくらい洗練されていて、朝から夕方まで近所の製材
所の原木の間や、小川の中で泥まみれになって魚取りに惚ける私達とは違って、想像もつ
かない高度な文明の異邦からやって来た家族見えた。時には下半身麻痺で両足を前に突き
だし両手で器用に膝行する同い年の不幸な子供などもいたが、そのような人達ともすぐ仲
良くなりよく家庭のもとに遊びに行っていた。
 ある時そのような転勤の家族が移り変わる中で、美しい姉妹の一家が住み着いた。もし
恋人として選ぶとすればA子とB子のどちらをはたして自分は選ぶべきであろうかと自問
したのはその頃である。A子は小柄で小太りの丸顔で利発そうな大きな目を輝かせ積極的
に行動的する溌剌とした魅力的な子であった。そしてB子はすらりとした容姿で、いかに
も貴族的で気位の高そうな静かな娘であった。A子がアン・シャーリーのような娘とすれ
ばB子はアリサのようであったと形容しようか、私はこれほど見事に違った魅力を持ち合
わせた姉妹を以前にもその後も邂逅したことがない。未だ目も眩むような恋に陥る前の少
年期で、少なくともどちらかに偏る程成熟した歳でなかったからかもしれない。もう少し
成長して、隣の家族ともずっと長くつき合っていたらAかBの娘の間で苦悩するという罠
に填っていたにちがいない。そしてまもなく繋がりをもつ手段も考える知恵もないまま、
その美しい姉妹は別の街に去って行き、私にとっては遙かな昔の記憶の残照のみとなって
しまった。

                 *

 若い頃自らの意志で下したAかBかの決断が思わぬ苦悩をもたらすこともある。その中
には若さゆえの義理や侠気といった思いこみによる自己犠牲、又一方での情熱による利己
的選択もあろう。
 夏目漱石の「こころ」に出てくる先生や「それから」の大介のように、ある若い時点で
選んだ道のために後の人生に大いなる悩みを残したように、私にとってもあらゆる転機で
選んだ道もまた同じようなもので悔恨の情を含んでいないとは言い切れない。しかしたと
え先生が若い頃奥さんを諦めるというもう一つの道を、大介が初めから友人を裏切って美
千代と一緒になることを選んだととしても、やはりどこかに疚しさや後悔の念が潜んでい
て別の悩みを持ち続けたであろうと私は思う。「三四郎」「それから」「門」は三部作とい
われているが、それぞれの主人公のもつ悩みは同じ線の延長上にあり、「門」の宗助は大
介と美千代が一緒になり、なおも悩み葛藤するその後の姿を描いているといわれている。
「こころ」の先生と「それから」の大介は立場が逆になっていることを見ても、AもBも
どちらもこれが正しかった道だとは誰も結論付けることは出来ないのではないか。どちら
を選んでも何かに悩み苦しむということは、まじめに生きる人の逃れられない性かもしれ
ない。

                 *

 私の軌跡は中心を外れて脇道に迷う込んだり一転して戻ってきたりするサインカーブや
螺旋階段のように振れながらも確実に前に進むように、大きな視点からみればそれはそれ
なりに一本の道の回りを逸脱することなく進む、己の嗜好や意志を示しているのではない
か。別の道を歩くということは決して私が歩けない次元のちがったもので、結局行き着く
ところは己のイメージした到達点にほかならないのではと思う。それが人から見て世間的
な人の評価に耐えうるものかどうかはわからないとしても。
 そして私はハムレットのように逡巡し悩み惑い、優柔不断で恋人のオフィリアを不幸に
するよりも、麻を絶つごとく一刀両断に物事を判断し決断できる人が羨ましい。果敢に行
動して決して結果を恐れず、振り返らない、自信に満ちた人はそのようなことが私に出来
ないだけに羨ましいと思う。
 しかしまたその反面、私自身がそのように脇目も振らず、小さな価値は切り捨てて雄々
しく決断し討ち進むとすれば、小さい価値でも積もりつもって出来上がった何かを取り返
しのつかない大切な物を失ってしったと感じ、淋しい想いに駆られるにちがいない。

                   *

 この宇宙は相対性原理と量子力学との間の矛盾も最近「超ひも論」という新しい有力な
理論により統一されるようとしている。宇宙的規模のマクロの世界では一般相対性理論や
特殊相対性理論で解決したかにみえたこの世界も、クオークや電子やニュートリノという
ミクロの世界ではその理論だけでは解けないことが判った。量子の世界では電子やクオー
クの動きを理論上で的確にとらえることができず、その推論は確率でしか表せないという
ことで、不確定性原理といわれている。この予測のできない働きをもたらす「揺らぎ」が
ビッグバンの直後この宇宙を形成したといわれている。
 また「1/fの揺らぎ理論」というものがある。音楽においても名曲とそうでない曲は
この1/fの揺らぎがあるかないかによると説く学者もいるのである。次の音が100%
予測出来てもいけない、全く予測出来なくてもいけない、程良い意外性の音が聞き手に満
足を与えるという。モーツアルトやブラームやベートウ゛ェンの名曲はこの1/fの揺ら
ぎを持っているということである。

                  *

 そして、そのような精緻にたけた科学の世界でさえ右に行くか左にするか確率論の中で
しか判らないのであるから、ましてやもっとも不可解な生き物である人間の理性や感情が
絶対に正しい判断をすること望むことは不可能であるという他はない。私のAとBの狭間
での揺らぎは当然の帰結であり、これからもハムレットの「to be or not
to be」の心境で狭間で立ちつくす己の姿を随分見るであろう。


7号 2002年
 

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