teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


ご挨拶

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)20時20分45秒
  まずは、さっちゃん!大変な事が、いっぱい、いっぱい、あったようですが、お元気そうで、何よりですッ‥(o^∀^o)

…人生もまた、「エピローグがプロローグ」なのだと思います。
これからは、思う存分、二度目の青春を、謳歌しましょう!

さて・・・改めまして、長きに渡り、このBBSを私物化してしまい、大変申し訳ございませんでした‥m(_ _)m
本日にて、大倉山猫の投稿は、一旦(!?)終了とさせて頂きます。

皆々様、何卒、佳き新年をお迎え下さいませ☆*゜。・゜*☆゜*。
 
 

ツワモノどもがユメのあと⑩《エピローグはプロローグ》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)20時04分37秒
  【川崎の寺尾城/別名:菅(すが)寺尾城】
■所在地:川崎市多摩区菅馬場2-30あたり
■城主:寺尾若狭守→元々、諏訪一族で、戦国時代は諏訪姓に戻る
■築城:室町時代

【旧入間郡の寺尾城】
■所在地:川越市寺尾641・日枝神社あたり
■城主:諏訪右馬亮(鶴見諏訪氏)
■築城:室町時代
※1546年の川越夜戦では北条方の使者として、諏訪右馬亮が、上杉方との和平交渉に当たったとされる

【秩父の寺尾城】
■所在地:秩父市寺尾3155あたり(現在は私有地)
■城主:寺尾彦三郎(北条氏邦家臣)と伝わる
■築城:室町時代
※敷地内に「寺尾大明神」の祠がある

・・・他にも、場所が特定されていない『寺尾』という地名や人名、『寺尾城』という名称は、数々の古文書に残されていますが、ほぼ全てに、諏訪氏が関係しており…、新編武蔵風土記稿でも、この不可思議な符合について指摘しています‥(?_?)

しかし!最大の謎は、鶴見諏訪氏の行方です!
信玄の小田原攻め以降、寺尾城が城主不在であったのは、おそらく、事実…。だとしたら、鶴見諏訪一族は、どうなってしまったのでしょうか?
討ち死にしてしまったのか?もしそうなら、何処で?三増峠?それとも別の場所?
或いは、生き延びたのなら、何故、寺尾城に戻らなかったのでしょうか?(家族は、館に待機していた筈…)
そのあたりの記録は、何ひとつ、見つかっていません。研究家達も、「資料が乏しく、お手上げ」だそうです。

・・・松蔭寺を中心とした、東寺尾・西寺尾・北寺尾…。誰もが首を傾げるのが、「はて?南寺尾は?」という素朴な疑問…。
地理的な南寺尾は、岸谷一帯に当たりますが、岸谷と馬場には、武士が多く住んでいたため、『尾』の文字が禁忌だったとの事!

どうか、ほんのいっとき目を閉じて、悠久に想いを馳せてみて下さい‥(-.-)
鶴見区は、ナウマン象の化石も発掘され、貝塚や古墳も残る土地…、古代から人々が定着し、戦国時代には、武士が住み暮らし、合戦もあった…。寺尾城も確かに存在して、武田の軍勢が通り過ぎて行った…。
私達が生まれ育った、まさしく同じ場所で、歴史を紡ぐドラマが、現実に繰り広げられていたのです。

寺尾城シリーズは、これにて完結とさせて頂きますが、このエピローグは、私にとって、次のステージへのプロローグ!いつの日か、また新たな発見を、皆様にご報告出来るように、頑張りますッ‥(^O^)P
 

ツワモノどもがユメのあと⑨後編《歴史散歩/寺尾城址(感想)》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)19時40分2秒
  【寺尾城址の感想】
鶴見の中世は、大きな謎に包まれています。しかし、調べていて厄介な事は…、まず、人名について、読みは同じでも、漢字が異なり、別人かと思えば、同一人物だったり…、逆に、前述の『諏訪頼重』のように、同姓同名でも、全くの別人だったり…。武家には“通名”もあり、どうしても、似た名前や同じ名前が多いため、実に、ややこしい‥(≧ヘ≦)

更に、謎が謎を呼び、検索がどんどん脱線していき…、何を調べようとしていたのか、判らなくなったり…と、まあ、これは、自分の好奇心が旺盛なせいだから、仕方ないか‥f^.^;

一年以上も前に予告しておいた、「真田も活躍」の小田原攻めを、ようやく書く事が出来た現在、既に、今年のNHK大河ドラマ『女城主直虎』も終了してしまいましたが・・・井伊直虎は、戦乱の世に翻弄され、天下太平の願いを徳川家康(に仕える万千代=後の井伊直政)に託して、この世を去ります。やがて、直虎の悲願であった“戦の無い世界”は、徳川家によって、実現されていくのです。

けれど日本は、その後も戦争を繰り返してきました。戦後生まれの私自身も、平和の有難みは理解っているつもりです。
それなのに、戦国時代を取材していると、何故、これほどまでに、「血湧き肉踊る!」のだろう!?…と、矛盾に戸惑ってしまいます‥(-д-#)
ジブリの宮崎駿監督も仰っていました。「反戦を唱えている自分が、戦闘機(特に零戦)を見ると、カッコイイと感じてしまう」と…。

三増峠の合戦で、真田と並んで活躍した『鳶兄弟(兄=鳶大弐/弟=鳶二位)』は、元々は根来寺の僧兵、いわゆる、一騎当千と謳われた“根来(ねごろ)忍者”です!
一騎当千とは、文字通り、一人で千人分の働きをするツワモノ…、『銀魂』で言えば、夜兎族や荼吉尼族並み!‥(`_´ゞ
伊賀や甲賀と比較すると、マイナーなどと言われつつ、戦国時代には、地道に宮仕えをして、「使えるヤツ」だった根来衆が、私は大好きなので、ついついワクワク…。

なお、“一番槍”に関しては、寺尾城主:諏訪右馬之助にも、「1554年、駿河の加島合戦にて、小田原方の一人として、一番槍の手柄を立てた」という記録が残っています。
 

ツワモノどもがユメのあと⑨前編《歴史散歩/寺尾城址(概要)》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)19時26分5秒
  歴史散歩④寺尾城址(殿山公園)
◆城主:後北条氏の家臣『諏訪氏(信濃諏訪氏の支流である鶴見諏訪氏)』
※諏訪氏は、北条早雲の小田原城平定の際、最初に功績をあげた家柄ということで、相模衆十四家にも列されている
※北条氏康旗下の十勇士にも数えられるなど、重用されていた
◆築城①:元々は、南北朝時代の諏訪頼重(1335年に自害/戦国時代の諏訪頼重に非ず!)が築いたとされる
◆築城②:後北条氏家臣の諏訪氏が居城としたのは、1430年頃から
※諏訪氏が白幡神社を勧請(或いは整備)したのが1435年なので、少なくとも、それ以前
※以降、百数十年間に渡り、諏訪氏が支配
※二代目=諏訪参河守、三代目=平三郎、四代目=参河守、五代目=馬之丞
◆落城:1569年(武田信玄の小田原攻めにて)
※当時、五大目城主・諏訪馬之丞は、小田原に召集されており不在
※武田軍は、戦力外の寺尾城を「焼かずに通り過ぎた」と記録に残る
※しかし、その後、諏訪氏が寺尾城に帰還する事は無かったため、城主不在のまま朽ち果てたとされる→建功寺霊簿によると「落城は1575年」と、小田原攻めとの時差があるのは、このためでは?

●馬場稲荷(寺尾稲荷)
・馬術が不得手だった、寺尾城主「諏訪右馬之助」が、この稲荷社に祈願したところ、霊験灼かであり、馬術の上達と共に、大出世を成し遂げた
・評判が広まり、特に紀州藩や江戸城の馬廻り役から、篤く信仰されたという

●三増峠(みませとうげ)の闘い
・1569年、武田信玄は小田原城を包囲したものの、北条氏康の篭城策が手堅く、甲斐へと撤退
・その帰路、待ち伏せをしていた北条軍が、武田軍の返り討ちに遭う
・この闘いで、武田方として大活躍したのが、真田三兄弟
・中でも、三男の武藤喜兵衛(真田昌幸)は、一番槍の手柄をあげる→武田方の鳶二位(元根来法師)は、「二番槍はご免こうむる」と、槍を捨て、刀を抜くや否や、八人を斬り倒したと伝わっている
・武田方の首帳によると、討ち取った北条軍の首は、雑兵も含めて3269にものぼる
・しかし、武田側も、開戦直後に、左翼の大将:浅利信種が討ち死にするなど、1000人近い戦死者を出した
・信玄の小田原攻めは、本気で戦を仕掛けるつもりではなく、北条に対する牽制であった筈が…、図らずも、三増峠にて、戦国時代最大と呼ばれる、山岳戦を繰り広げる結果となった…。
 

皆様おげんきですかー?

 投稿者:さちこ  投稿日:2017年12月30日(土)21時10分44秒
  またまたご無沙汰すみません。
今年も明日で終わりですね。早い?早すぎる?

淳子さん、書き込みありがとうございます。
個人的にも優しいメールを頂き感謝です(*^^*)

皆様ごめんなさい?
今年もクラス会開けず申しわけなかったです。

私事ですが、1月、10年間別居生活の末やっと離婚しました。
今更? と、すでに離婚してるものだと周りには思われてましたが?

2月、就寝中に右肩脱臼(脱臼癖があるけど、寝ている時は初めてで焦りました)
救急車のお世話になってしまいました。
笑って下さい(^o^;)

常にクラス会の事は頭にあったのですが
その後も色々色々ありすぎて書ききれないけど、1年間何かと全く余裕のない私でした。

来年こそは…
って去年も書いたような気がするけど?
中村くんと相談しまして、来年4月頃にクラス会開催させて頂く予定です。
又連絡いたしますね。

来年は平凡に過ごしたいなー。

皆様、良いお年をお迎え下さい(*^_^*)








 

ツワモノどもがユメのあと⑧《歴史散歩/東福寺》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月24日(日)18時41分55秒
  皆さん!Merry Christmas!☆.。.:*・°☆.。☆.。.:*・°☆.。
…とは全く無関係な、以下↓の書き込みですが、今週も、どうかオツキアイ下さいませ‥(´∀`)

歴史散歩⑥東福寺
◆本尊は如意輪観音
◆平安時代に勝覚僧正の夢見(上記の本尊が、摂津住吉から流され、生麦の浜に辿り着いたという夢)により開かれたと伝わる
◆かつては『子安観音』と呼ばれ、『子安』の地名の由来となった

●子育て観音
・堀河天皇が祈願して、一子(鳥羽天皇)を得たことから、『子生山(こいけさん)東福寺』の号と宸筆(天子の直筆)の勅額を賜ったといわれる
・仁王門にある「子生山」の扁額は、松平不昧公(治郷)の書
・門前では、名物“子育て饅頭”の店が繁盛していた(現在でも、商品名として残っている)

●松尾芭蕉「観音の甍見やりつ花の雲」の句碑
・芭蕉が立ち寄った事は確かだとされる
・この地で詠まれた句と勘違いされているが、この「観音の甍」は、浅草寺の屋根を指し、芭蕉庵で作られた句

●いぼ取り地蔵尊
・生麦浦の漁師達が、海中から救い出して安置
・劣化した無惨な姿が、いぼだらけのように見えたので、“いぼ取り地蔵尊”と命名→実際、いぼ取りに御利益があったとか

【東福寺の感想】
この寺院に関しては、非常に歴史が古く、ある程度の資料も残されているものの、寺尾城との関係を示す資料は見当たりません。

江戸時代には、川崎大師と並び、観光名所絵図に描かれるほどの大寺だった東福寺・・・明治を迎え、参拝客が少なくなり、寂れつつあったところへ、新橋の料亭『花月楼』の元主・平岡廣高が現れ、「観音様の繁昌、御堂の再建」を条件に、3万坪に及ぶ境内の土地を、『花月園遊園地』建設用地として借り受けます。
大正3年の開園後、『花月園』は、東洋一の遊園地と謳われるまでに発展しますが、時代の流れに翻弄され、昭和25年に、『花月園競輪場』として生まれ変わりました。
しかし、その競輪場も、平成22年に役目を終え、今後は、公園や住宅地(病院や介護施設も?)になる事が決まっています。

今回の歴史散歩で、最も衝撃的だったのが、東福寺境内から見た、競輪場跡の広大な更地!?‥(◎o◎)
境内に残る、花月園遊園地時代に、料亭『花月楼』から寄進された巨大な石灯籠だけが、当時の隆盛を物語っているかのようでした…。
 

ツワモノどもがユメのあと⑦《歴史散歩/宝蔵院》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月17日(日)07時21分7秒
  一週間のご無沙汰でした!
歴史散歩レポートは、④を飛ばして、今週は⑤…、来週は⑥…、そして再来週(大晦日)に、『④寺尾城址』でトりを飾りたいと思いますッ‥(^^ゞ

歴史散歩⑤宝蔵院
◆神奈川宿:金蔵院(東神奈川にあり平安時代創建)の末寺
◆かつては『愛宕山延命寺』とも呼ばれた
◆寺尾城では、宝蔵院本殿裏にあった池を生活水として活用

●寺尾地区で最古の寺院
・山門の板戸の作りから、鎌倉以前の開山と推察されていた
・更に、昭和20年の墓地造成工事中に、即身仏と板碑が発見され、板碑に承元四年(1210年)と彫られていた

●『白山(はくさん)様』
・本堂脇に祀られており、江戸時代には“歯の神様”として、人気があった→奈良~平安の「白山信仰(山岳信仰)」の名残では?
・その他、『おびんずるさん』や『足びき地蔵尊』といった、病気や痛みの治癒に霊験灼かな仏様も祀られている

●源平五色(げんぺいごしき)の椿
・樹齢は、推定600年
・接ぎ木ではなく、一本の幹から「白・赤・ピンク・しぼり(白・赤が点散)・ぼかし(にじんだ色)」の五色の花が咲く、日本で唯一の種類
・白と赤の花である事から、「源氏=白旗、平家=赤旗」を連想させる→『源平五色の椿』のネーミング
・開花時期は3月中旬より、5月中旬ごろまで毎日咲き替わり、特に4月上旬が見ごろ

【宝蔵院の感想】
その歴史は、地域で最も古いと言われているにもかかわらず、『建功寺』『松蔭寺』の敷居の高さと比べると、非常にフランクでオープンな印象の寺院です♪
山門の入口に、案内の立て札があり、「ラッキー7めぐり」という、古刹とも思えぬタイトルが!?境内7カ所を右回りに7周り以上すると、「体にも良いし御利益もあります」との事‥(^。^;)
住職様によると、宝蔵院は、「亡くなった方の追善供養にとどまらず、今生きている人達の幸せを願うために“生き仏の寺”と命名し、多くの方々に開放している」そうで、「なるほど」と納得!

本殿裏にあった池は、現在も横井戸として残っており、水質検査も受けているため、飲む事も可能だとか‥(・o・)ノ
寺尾城にとって、貴重な“水源”であった宝蔵院…。この寺院もまた、「寺尾城の一部」であったという事になるのです。
 

お詫びとお知らせ

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月10日(日)07時35分31秒
  今週は、お詫びばかりです‥m(_ _)m
先週の『KIRIN横浜ビアビレッジ訪問記(前)/講演会』の最後あたりに、『大日本麦酒』を「キリンビール前身」と書いてしまいましたが・・・「キリンではなくて、アサヒとサッポロの前身」であると、キリンビール愛に満ち溢れた、さんななメンバーのS氏にご指摘を頂戴しました。

講演会の際に自分で記入したメモを読み返したところ、「大日本麦酒→1947年:過度経済力集中排除法によって、サッポロ(日本麦酒)とアサヒ(朝日麦酒)に分割」と書いてあるではありませんか!?‥Σ(゜Д゜lll)
麒麟麦酒の前身と呼べるのは、『ジャパン・ブルワリー・カンパニー』でした。

嗚呼…、重ね重ね、申し訳ございません…。ノートだけ書いて理解ったようなつもりになり、「先生の話を、ちゃんと聞かない」悪い癖は、生中時代から、変わっていないようです‥(≧ヘ≦)

*+。:・★.。:*+━━━━━━━+*。.。:・★

ここからは、お知らせになります。
大倉山猫が、ほぼ、自らのブログ化してしまった、このBBS…。スマホ時代にもかかわらず、これまでは、私のフィーチャーフォン(と言えば聞こえが良いけれど、単なるガラケー)でも読み書きが可能だったのです。
しかし、いよいよ来年以降、ガラケーでの利用が出来なくなる(かもしれない)との表示がされるようになりました。

今のところ私は、スマホに買い換える予定はありません。我が家のノートPCは、娘が持ち歩いているため、私は利用出来ません。
数日前、「ガラケーは、世代を超えて、依然、人気も需要もある」というニュースが流れていました。スマホだと、携帯料金も電気代も高い上に…、最近はガラケーでも、LINEが問題無く使えたり、マウス替わりに、文字盤を指でなぞって操作出来たりと、進化しているためだとか…。
反面、様々なサイトから、ガラケーがシャットアウトされ始めているのも事実です。今後、そういったサイトで、再びガラケーが利用可能になる事は無いでしょう。

私の投稿も、いつまで出来る事やら?もしかしたら、今年の大晦日が最後になるかもしれません。
なので、忘れないうちに、ご挨拶だけ・・・皆様、貴重なお時間を割いて、大倉山猫の書き込みにお付き合い頂きまして、本当に有難うございました!
 

ツワモノどもがユメのあと⑥《歴史散歩/白幡神社》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月10日(日)07時14分59秒
  11/26投稿の歴史散歩のコース順に誤りがありました。大変申し訳ございません‥m(_ _)m
正しくは下記の通りです。

「①建功寺→②松蔭寺→③白幡神社→④寺尾城址(殿山公園)→⑤宝蔵院→⑥東福寺」
というワケで、今回は…

歴史散歩③白幡神社
◆旧寺尾四ケ村(東寺尾・北寺尾・西寺尾・馬場)の鎮守
◆寺尾城主『諏訪氏』が「白幡大明神=足利尊氏」を祀り勧請
◆足利尊氏=源氏=白旗→白幡
※源氏は白い旗印、平家は赤い旗印
※白幡(白旗)神社は、東北・関東・中部地方に多数分布する、源氏(主に頼朝)を祀る神社

●この神社で特筆すべきは、狛犬の魅力!
・明治19年に建立された、鶴見の名工『飯島吉六(江戸~明治、11代続いた石工)』の作
・珍しく子沢山(3匹)で、しかも授乳中の狛犬
・多くの狛犬ファンや専門家達が、繰り返し訪れては、各々のブログに記事をアップしている

●近所に“鍛冶屋敷跡”の立て札がある
・その場所で、寺尾城の武器や防具を製造および貯蔵していたとされる
・実は、当地での『白幡社』なる名称は、いにしえから存在しており、後世、諏訪氏が寺尾城築城の折、鍛冶屋敷(=戦備え)の建設と同時に、白幡社(=護国)を整備し直した可能性もある→つまり、白幡神社も寺尾城の一部!

【白幡神社の感想】
狛犬や稲荷狐、そして仁王様などは、基本的に一対で、中でも狛犬(一部の稲荷狐や仁王様も)の「阿吽」は、ご存じの方も多いでしょう。狛犬や飯島吉六について語り始めると、三日以上かかるので止めますが(笑)、ひとつだけ豆知識として・・・狛犬や稲荷狐は、宝珠に手を掛けている形を“玉取り”、子狛や子狐に手を掛けている形を“子取り”と呼びます。
白幡神社には稲荷社もあり、こちらの狐も本殿の狛犬同様に“子取り”ですが、相方がいません(何らかの事情で破損したものか?)
この一人親(一匹親?)のお狐サンには、ついついシンパシーを感じてしまう大倉山猫なのであります‥σ(^▽^;)

かつて、白幡神社周辺は鬱蒼とした森で、私の「昆虫&植物採集」のフィールドでした。現在では整備され、こどもログハウス『ピッコロ』が人気です♪時代の流れを、否応無しに思い知らされますね‥(;-_-)
 

『KIRIN横浜ビアビレッジ訪問記(後)/工場見学②』

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月 4日(月)14時16分10秒
  《…続きです》
⑥麦汁試飲コーナー
全員で乾杯してから(笑)、「一番搾り麦汁」と「二番搾り麦汁」の、色・薫り・味を比較。

⑦醗酵・ろ過コーナー
実物大の醗酵タンク(に見立てた部屋)に入り、自分をミクロ化したつもりで、酵母の働きを学びます。
単純ながらも楽しい演出があって、他の参加者とも更に親しくなれました♪

⑧パッケージング(缶)コーナー
ガラス越しに、製造ラインの設備は見られたものの、メカも週休二日制だそうで、この日は休眠中(泣)
でも大丈夫!迫力ある映像で、「一分間に2000本」の充填作業を目の当たりに出来ます!(平日ならば、稼動の様子も見学可能)

⑨試飲コーナー
いよいよ、オーラス…と言うか、皆さん、このコーナーを目指して、頑張ってきたと申し上げても過言では無いでしょう‥(´∀`)
オツマミ付きで、試飲は一人につき3杯まで。樽詰め生ビールも、3種類用意されています(季節ごとに異なる)

今更ですが、大倉山猫は、ほぼ下戸です。試飲コーナーには、ソフトドリンクもあります。
けれどこの日は、制限時間20分以内に、3種類のテイスティングに果敢に挑戦!3杯とも、「小グラスに半分だけお願いしますッ」作戦で!
結果は…
◎一番搾り=スッキリ!
◎一番搾り横浜づくり(これ、物凄い人気なのですよね!)=フルーティ!
◎一番搾り黒生=香ばしい!
…なんて稚拙な感想なんだ!?ビール好きな方々、ごめんなさいッ‥m(_ _)m

歴史散歩然り、今回も私は「お一人様」だったため、哀れに思われたのか、何人ものお爺ちゃんが、入れ替わり立ち替わりチョッカイを出して下さったお陰で、寂しくはアリマセンでしたが・・・帰り道、ライトアップされた麒麟像の美しさには、思わず家族の顔が浮かんで、「今度は、みんなで来ようっと!」と決心したのでした‥(*^o')v

【その他サービス】
●ファミリーツアー
無料。土日祝日や夏休みなど、5歳~9歳の子供&家族むけの工場見学♪

●ビールづくり体験教室
有料。土日など。一日掛かりで仕込みから貯蔵まで→6週間後に、出来上がった瓶ビールが自宅に届く

●キリン・ホームタップ
会員制定期購入。初回はビールサーバー(レンタル)付き。基本は毎月2回、1回につき1リットルの特殊ペットボトル(工場見学で展示中)入りビール2本。追加購入可。
※2017年分の申込みは終了

…最後までお読み頂き、有難うございました!!
 

レンタル掲示板
/24