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夜空を見上げて下さい!

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2018年 7月31日(火)21時30分22秒
  暑中お見舞い申し上げます!‥A(^o^;
ご無沙汰しておりますが、皆様、お変わりございませんか?

大倉山猫は、今春、ガラケーを卒業して、Android搭載のガラホ(別名:ガラスマ)に機種変更しました!…と言っても、見た目は、ガラケーのままですが‥(^^ゞ
会社ケータイはスマホなので、それなりにフリック入力もしているものの、やはり私は、両手親指のトグル入力が、断然、スピーディー!
ガラホは、ブラウザ起動時やアプリを使用する時には、テンキー部分が、そのままタッチパネルに早変わりします。電車の中で、テンキーパネルをタップしたり、なぞってスクロールしたり、ピンチイン・ピンチアウトなんかしていると、周囲の乗客から、「なにやってんだ?このオバちゃん!スマホごっこか?」的な視線が刺さってくる事がありますが、私は内心、「君達、ガラホを知らないのかね?遅れてるなあ」と、北叟笑むのでありました‥( ´∀`)

余計な話は、これくらいにして・・・
皆様、既に、ニュース等でご存知でしょうけれど、今年は、15年ぶりの“火星大接近”!しかも、今宵が、最接近日です!とにかく、夜空を見上げて下さいッ‥(・o・)ノ
いつになく明るく、オレンジ色に輝く火星は、今にも手が届きそうに見えます☆彡

火星の空の色は、地球とは真逆だそうです。
昼間は、赤く(と言うか、黄色がかった茶色)…、夕焼けは、冴え渡るブルー…。

先日、六本木ミッドタウン内の富士フイルムスクエアで、『138億光年 大いなる宇宙の旅 ~NASA60周年 天体写真べストセレクション~』を、鑑賞しました。
その中に、火星の青い夕焼けの写真もあったのですが、それはもう、言葉に尽くせない美しさ!‥( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆

…あっ、何故、火星の昼の空が赤くて、夕暮れが青いのかは、ご自分で調べてみて下さいネッ。
…それにしても、NASAが、私達と同年代だったとは!?
 
 

日テレZIP

 投稿者:大場武  投稿日:2018年 2月22日(木)11時25分23秒
  皆様

今日も寒いですね.お元気ですか?

先ほど,本白根山の噴火について日テレの取材を受けました.
明日のZIP(朝5:50~8時)の中で,噴火から一カ月ということで短いインタビューが放映されるかもしれません.重大ニュースが起きないことを願っています.

大場武
 

ありがとう

 投稿者:大場武  投稿日:2018年 1月23日(火)23時14分24秒
  さちこ様

早速,レスポンスありがとう.
少し緊張してきました.
眠れると良いのですが.
それではお休みなさい.

大場武
 

(無題)

 投稿者:さちこ  投稿日:2018年 1月23日(火)22時16分19秒
  大場くん、早速録画しました。
見させていただきます。

淳子さん、楽しまなきゃ損ですよね。
ありがとうございます。
 

TBS出演

 投稿者:大場武  投稿日:2018年 1月23日(火)21時28分10秒
  皆様

お元気ですか?ご無沙汰しています.
本日,本白根で噴火が起きました.明朝のTBS,8~10時の番組に出演し,本白根の噴火についてコメントすることになりました.

大場武
 

ご挨拶

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)20時20分45秒
  まずは、さっちゃん!大変な事が、いっぱい、いっぱい、あったようですが、お元気そうで、何よりですッ‥(o^∀^o)

…人生もまた、「エピローグがプロローグ」なのだと思います。
これからは、思う存分、二度目の青春を、謳歌しましょう!

さて・・・改めまして、長きに渡り、このBBSを私物化してしまい、大変申し訳ございませんでした‥m(_ _)m
本日にて、大倉山猫の投稿は、一旦(!?)終了とさせて頂きます。

皆々様、何卒、佳き新年をお迎え下さいませ☆*゜。・゜*☆゜*。
 

ツワモノどもがユメのあと⑩《エピローグはプロローグ》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)20時04分37秒
  【川崎の寺尾城/別名:菅(すが)寺尾城】
■所在地:川崎市多摩区菅馬場2-30あたり
■城主:寺尾若狭守→元々、諏訪一族で、戦国時代は諏訪姓に戻る
■築城:室町時代

【旧入間郡の寺尾城】
■所在地:川越市寺尾641・日枝神社あたり
■城主:諏訪右馬亮(鶴見諏訪氏)
■築城:室町時代
※1546年の川越夜戦では北条方の使者として、諏訪右馬亮が、上杉方との和平交渉に当たったとされる

【秩父の寺尾城】
■所在地:秩父市寺尾3155あたり(現在は私有地)
■城主:寺尾彦三郎(北条氏邦家臣)と伝わる
■築城:室町時代
※敷地内に「寺尾大明神」の祠がある

・・・他にも、場所が特定されていない『寺尾』という地名や人名、『寺尾城』という名称は、数々の古文書に残されていますが、ほぼ全てに、諏訪氏が関係しており…、新編武蔵風土記稿でも、この不可思議な符合について指摘しています‥(?_?)

しかし!最大の謎は、鶴見諏訪氏の行方です!
信玄の小田原攻め以降、寺尾城が城主不在であったのは、おそらく、事実…。だとしたら、鶴見諏訪一族は、どうなってしまったのでしょうか?
討ち死にしてしまったのか?もしそうなら、何処で?三増峠?それとも別の場所?
或いは、生き延びたのなら、何故、寺尾城に戻らなかったのでしょうか?(家族は、館に待機していた筈…)
そのあたりの記録は、何ひとつ、見つかっていません。研究家達も、「資料が乏しく、お手上げ」だそうです。

・・・松蔭寺を中心とした、東寺尾・西寺尾・北寺尾…。誰もが首を傾げるのが、「はて?南寺尾は?」という素朴な疑問…。
地理的な南寺尾は、岸谷一帯に当たりますが、岸谷と馬場には、武士が多く住んでいたため、『尾』の文字が禁忌だったとの事!

どうか、ほんのいっとき目を閉じて、悠久に想いを馳せてみて下さい‥(-.-)
鶴見区は、ナウマン象の化石も発掘され、貝塚や古墳も残る土地…、古代から人々が定着し、戦国時代には、武士が住み暮らし、合戦もあった…。寺尾城も確かに存在して、武田の軍勢が通り過ぎて行った…。
私達が生まれ育った、まさしく同じ場所で、歴史を紡ぐドラマが、現実に繰り広げられていたのです。

寺尾城シリーズは、これにて完結とさせて頂きますが、このエピローグは、私にとって、次のステージへのプロローグ!いつの日か、また新たな発見を、皆様にご報告出来るように、頑張りますッ‥(^O^)P
 

ツワモノどもがユメのあと⑨後編《歴史散歩/寺尾城址(感想)》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)19時40分2秒
  【寺尾城址の感想】
鶴見の中世は、大きな謎に包まれています。しかし、調べていて厄介な事は…、まず、人名について、読みは同じでも、漢字が異なり、別人かと思えば、同一人物だったり…、逆に、前述の『諏訪頼重』のように、同姓同名でも、全くの別人だったり…。武家には“通名”もあり、どうしても、似た名前や同じ名前が多いため、実に、ややこしい‥(≧ヘ≦)

更に、謎が謎を呼び、検索がどんどん脱線していき…、何を調べようとしていたのか、判らなくなったり…と、まあ、これは、自分の好奇心が旺盛なせいだから、仕方ないか‥f^.^;

一年以上も前に予告しておいた、「真田も活躍」の小田原攻めを、ようやく書く事が出来た現在、既に、今年のNHK大河ドラマ『女城主直虎』も終了してしまいましたが・・・井伊直虎は、戦乱の世に翻弄され、天下太平の願いを徳川家康(に仕える万千代=後の井伊直政)に託して、この世を去ります。やがて、直虎の悲願であった“戦の無い世界”は、徳川家によって、実現されていくのです。

けれど日本は、その後も戦争を繰り返してきました。戦後生まれの私自身も、平和の有難みは理解っているつもりです。
それなのに、戦国時代を取材していると、何故、これほどまでに、「血湧き肉踊る!」のだろう!?…と、矛盾に戸惑ってしまいます‥(-д-#)
ジブリの宮崎駿監督も仰っていました。「反戦を唱えている自分が、戦闘機(特に零戦)を見ると、カッコイイと感じてしまう」と…。

三増峠の合戦で、真田と並んで活躍した『鳶兄弟(兄=鳶大弐/弟=鳶二位)』は、元々は根来寺の僧兵、いわゆる、一騎当千と謳われた“根来(ねごろ)忍者”です!
一騎当千とは、文字通り、一人で千人分の働きをするツワモノ…、『銀魂』で言えば、夜兎族や荼吉尼族並み!‥(`_´ゞ
伊賀や甲賀と比較すると、マイナーなどと言われつつ、戦国時代には、地道に宮仕えをして、「使えるヤツ」だった根来衆が、私は大好きなので、ついついワクワク…。

なお、“一番槍”に関しては、寺尾城主:諏訪右馬之助にも、「1554年、駿河の加島合戦にて、小田原方の一人として、一番槍の手柄を立てた」という記録が残っています。
 

ツワモノどもがユメのあと⑨前編《歴史散歩/寺尾城址(概要)》

 投稿者:淳子as大倉山猫  投稿日:2017年12月31日(日)19時26分5秒
  歴史散歩④寺尾城址(殿山公園)
◆城主:後北条氏の家臣『諏訪氏(信濃諏訪氏の支流である鶴見諏訪氏)』
※諏訪氏は、北条早雲の小田原城平定の際、最初に功績をあげた家柄ということで、相模衆十四家にも列されている
※北条氏康旗下の十勇士にも数えられるなど、重用されていた
◆築城①:元々は、南北朝時代の諏訪頼重(1335年に自害/戦国時代の諏訪頼重に非ず!)が築いたとされる
◆築城②:後北条氏家臣の諏訪氏が居城としたのは、1430年頃から
※諏訪氏が白幡神社を勧請(或いは整備)したのが1435年なので、少なくとも、それ以前
※以降、百数十年間に渡り、諏訪氏が支配
※二代目=諏訪参河守、三代目=平三郎、四代目=参河守、五代目=馬之丞
◆落城:1569年(武田信玄の小田原攻めにて)
※当時、五大目城主・諏訪馬之丞は、小田原に召集されており不在
※武田軍は、戦力外の寺尾城を「焼かずに通り過ぎた」と記録に残る
※しかし、その後、諏訪氏が寺尾城に帰還する事は無かったため、城主不在のまま朽ち果てたとされる→建功寺霊簿によると「落城は1575年」と、小田原攻めとの時差があるのは、このためでは?

●馬場稲荷(寺尾稲荷)
・馬術が不得手だった、寺尾城主「諏訪右馬之助」が、この稲荷社に祈願したところ、霊験灼かであり、馬術の上達と共に、大出世を成し遂げた
・評判が広まり、特に紀州藩や江戸城の馬廻り役から、篤く信仰されたという

●三増峠(みませとうげ)の闘い
・1569年、武田信玄は小田原城を包囲したものの、北条氏康の篭城策が手堅く、甲斐へと撤退
・その帰路、待ち伏せをしていた北条軍が、武田軍の返り討ちに遭う
・この闘いで、武田方として大活躍したのが、真田三兄弟
・中でも、三男の武藤喜兵衛(真田昌幸)は、一番槍の手柄をあげる→武田方の鳶二位(元根来法師)は、「二番槍はご免こうむる」と、槍を捨て、刀を抜くや否や、八人を斬り倒したと伝わっている
・武田方の首帳によると、討ち取った北条軍の首は、雑兵も含めて3269にものぼる
・しかし、武田側も、開戦直後に、左翼の大将:浅利信種が討ち死にするなど、1000人近い戦死者を出した
・信玄の小田原攻めは、本気で戦を仕掛けるつもりではなく、北条に対する牽制であった筈が…、図らずも、三増峠にて、戦国時代最大と呼ばれる、山岳戦を繰り広げる結果となった…。
 

皆様おげんきですかー?

 投稿者:さちこ  投稿日:2017年12月30日(土)21時10分44秒
  またまたご無沙汰すみません。
今年も明日で終わりですね。早い?早すぎる?

淳子さん、書き込みありがとうございます。
個人的にも優しいメールを頂き感謝です(*^^*)

皆様ごめんなさい?
今年もクラス会開けず申しわけなかったです。

私事ですが、1月、10年間別居生活の末やっと離婚しました。
今更? と、すでに離婚してるものだと周りには思われてましたが?

2月、就寝中に右肩脱臼(脱臼癖があるけど、寝ている時は初めてで焦りました)
救急車のお世話になってしまいました。
笑って下さい(^o^;)

常にクラス会の事は頭にあったのですが
その後も色々色々ありすぎて書ききれないけど、1年間何かと全く余裕のない私でした。

来年こそは…
って去年も書いたような気がするけど?
中村くんと相談しまして、来年4月頃にクラス会開催させて頂く予定です。
又連絡いたしますね。

来年は平凡に過ごしたいなー。

皆様、良いお年をお迎え下さい(*^_^*)








 

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